ゆりの木通りの基生さん

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ゆりの木通りの基生さん


ゆりの木通りの鈴木基生さんとレッツの出会いは2005年。
基生さんがゆりの木通りの会長になって1年目で、商店街の店舗に障害のある人の作品を「潜ませる」展覧会、「商展06」を開催させていただいた。これは静岡市の紺屋町商店街と、浜松市のゆりのき通り商店街2か所で、16店舗を舞台に行った。
当時静岡市の商店街に比べてゆりの木通りにはほんとになにもなくて、こうした催しも未経験。そのためかいろいろなトラブルもあった。

その後、2008~2009年にたけし文化センターBUNSENDOや、万年橋パークビル1階で2011~2014年に「たけし文化センターINFOLOUNGE」を行わせてもらった。

たけし文化センターBUNSENDOでは鈴木一郎太くん、深沢孝史くんが、たけし文化センターINFOLOUNGEでは、鈴木くん、山森達也くん、森恭平くんがスタッフとしてかかわった。彼らの力で、ここにアート的手法を使いながら、発信拠点を作っていった。そしてそれをものすごく基生さんが面白がってくれた。
今、一人はアーティストととして、3人は、他の地域で、地域の核になって活躍している。
ここでの経験は計り知れないだろう。

 レッツの20年の歴史においても、2005年は街に飛び出す大きな転換期であったし、2014年まで行わせていただいた「たけし文化センターINFOLUNGE」は、街に多様性をアート的な手法で埋め込んでいく事業が実現できた。それが、今の「表現未満、」プロジェクトや、中心市街地の拠点(たけし文化センター連尺町)に脈々とつながっている。

2016年だったか、一時期、万年橋パークビルが解体されるという話が持ち上がった。それというのもこのビルは浜松市が土地を借りて建てたものなので行革審の標的になっていた。
創造都市を標榜する浜松市が民間が粛々と行っているアートセンター的なこのビルを無下に扱うとはなにごとかと、猛然と市長に抗議に行ったのを覚えている。
その後、心ある行政マンや新聞記者や、多くの人たちが動いて存続が可能になったし、なにより基生さんという核がいることがこの界隈の強みだった。

そう。核となる人がいること。そこがぶれないことは、特にアートとか文化とかの継続性においては本当に重要だ。
そして、何より、基生さんがいつもニコニコ「楽しそう」にしていることがゆりの木に多くの人が集まる要だった。

その基生さんが、抜けるような夏空の中、70歳で昇天した。

浜松市の中心市街地にアートを持ち込んだゆりの木通りの、1つの時代が終わった。
基生さんのレガシーを若い人たちがどう受け継いでいくのだろう。
私は、ある程度の年齢なのだから、見守っていかなければいけない。

この光明を絶やすことなく、私は私なりに、頑張ろうと思う。

基生さん、本当にありがとうございました。



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