感謝!静岡県から文化奨励賞をいただきました!

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5月27日、静岡県文化奨励賞をいただいた。
私がやってることを誰かが認めてくださり、それが賞という形になる。
ありがたいことです。


芸術選奨の時と同じようにたけしを、授賞式に連れいった。
全く場違いな人なのは百も承知で。

作品をつくらない私が、何をやろうとしているのか。
本当にいいのだろうか。

ありがたいことではあるが、歩みを止めるわけにもいかない。
だってまだ世の中は全然なのだから。


静岡県文化奨励賞スピーチ

この度は、静岡県文化奨励賞といった大変光栄な賞をいただきまして誠にありがとうございます。
この賞は、わたくしの父、高木滋生が1984年に建築家で初めて受賞いたしました。当時私は大学生でしたが、とても名誉ある賞であると認識しておりました。
この度、わたくしがいただけることとなりましたこと大変恐縮しております。

私がやってきたことといえば、私の日常の中で常に起きている社会との齟齬、違和感をアート的な手法を通して、社会や既成の価値観、や考え方に問いを投げかけること。
そんなことを22年間粛々と続けております。

今日、そこにいかにも場違いな青年がいます。
彼は私の息子でくぼたたけしと申します。現在26歳です。
そして介助している青年2名は、私が運営する認定NPO法人クリエイティブサポートレッツのスタッフの渡辺亮介と櫻井キイチです。現在レッツは、障害福祉施設事業を5事業行っております。

くぼたたけしは重度の知的障害者で、今でも、食事も、身辺の自立も、排泄も自分でできません。発語もなく、このように自由に動き回る人です。
今も入れ物に石を入れて打ち鳴らしていますが、これを彼は2歳頃から、今まで365日、1日も欠かすことなく、ほぼ寝る時間以外にくり返し行っています。
非常に音もうるさく、ご来場の皆さまも、なぜこの様な晴れがましい席に、こうした人がいるのだとお思いの方も少なくないと思いますが、私の活動を最も的確に伝えるくれる人なので、僭越ではありますがあえて同席させていただきました。

彼のこの行為は、学校や公共空間では「問題行動」と言われています。
しかし、障害があろうがなかろうが、人が毎日熱心に取り組んでいることを、そんな簡単に「問題行動」として切り捨ててしまってよいのだろうか、と私は思っていました。

これは、視点をかえれば、彼が最も熱心に行っている、彼の人格を現している、彼の表現ともいえると思います。たけしは音楽が好きです。一日中音楽を浴びるように聞いて生活しています。その中で、この行為は彼なりの音楽の表現なのかもしれません。

クリエイティブサポートレッツでは、こうした、本人が大切にしていることを、とるに足らないことと一方的に判断しないで、その人の固有の表現ととらえ、大切にしていこうと考えています。またこの行為こそが、さまざまな価値観を変える、文化創造の種であるとも考えています。そしてこれを「表現未満、」と命名し、様々なプロジェクトを行っています。

表現ととらえなおすことは、人をできる/できないといった能力で判断するのではなく、その人がそこにいることを、全肯定することが可能となります。こうした価値観の転換はまさにアートの真骨頂です。

同時に、今の社会の価値観やルールが果たして本当に必要なのだろうか、それによって排除される人がいる反面、だれが幸せになっているのだろうか、など、そうした問いを社会に投げかけています。

2017年度の文化庁が主催されている芸術選奨で文化振興部門で新人賞をいただきました。また、静岡県様には、「表現未満、プロジェクト」は2016年からの文化プログラムで継続的に応援をいただいております。本当に感謝しております。

その芸術選奨の講評で、
「久保田翠は、自ら設立した福祉施設等を拠点に、障害や国籍、性差、年齢などあらゆる「ちがい」を乗り越えて人間本来の「生きる力」「自分を表現する力」を見つめる場を提供し続けている。
また、障害者の潜在能力や新たな可能性を提示する活動を展開することで、人間とは何か、アートとは何かという本質的な問い掛けを私たちにより強く投げ掛け、社会にインパクトを与えた」
と過分な評価いただきました。
今回も、私のような活動が文化・芸術として認めていただけたこと、大変うれしく思います。

今世の中は、コロナ禍や戦争が起こり、分断や隔絶、孤立といった難しい課題を抱えています。だれもが生きづらさをかんじている、そんな時代です。
そして、共生社会、インクルージョン、ユニバーサルデザインなどさまざまな言葉で多様性がうたわれています。
しかしこれは言うは易しで、実現はとても難しいことです。

今日、この場にたけしがいること。みなさまが感じているであろう違和感。この後の音楽でもカシャカシャと音を出してしまうと思います。
そしてこの違和感とは何なのか、そして音を楽しむとはどういうことなのか、今日この席で一番大切なことは何なのか、など、この感覚をぜひお持ち帰りいただき、ずっと考え続けていただきたいと思います
そうした積み重ねが、多様な人がともに生きる社会の礎になると考えています。

最後になりましたが、この様な評価をしていただきました関係者の皆様、レッツを応援して下さる多くの皆様、レッツのスタッフ、そして私の家族、に感謝いたします。
本日は誠にありがとうございました。




 

たけしの自立~家から脱走!

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今日たけしが家から脱走した。脱走はいつものことで、せいぜい100m先の隣家に侵入して駐車場や庭の石で遊んでいるぐらいのものなのだが、今日は忽然と消えた。どこを探してもいない。

先週、へルパーさんが家に来てくれて、歩いてお出かけした。その時、2kmほど先のコンビニまでお散歩したと言っていたがまさか??
とにかく携帯だけもって、マスクも忘れて走り出した。

途中散歩している通りがかりの方々に「身長このぐらいのつなぎ着て裸足の男の子、見ませんでしたか?」と聞いて回った。
きっと皆さん不思議に思っていたのだろう。
即座に見かけた先や行った方角を教えてくださった。そしてこの住宅街を出て、少し広い道に出たみたいだ!
とにかく猛ダッシュで通りに出た。

いた! 200mほど先をすたすたと(しかも裸足で)歩いている。
「たけし~!!!」と声をかけた。

見向きもしない。
とにかく全力で走って、ようやく追いついた。

しかし、携帯しか持っていない。
いくら戻ろうといっても本人は全くその気はなし。
もはや私の力では力ずくで帰ることはかなわない。
これはコンビニまで行くしかない。

しかし行ったとて、そこから帰れるはずもない。
コンビニで粘られて、またどこかに行きたくなるかもしれない。

今日は5月というのに夏のよう。アスファルトも結構熱いだろうに。
とにかく座らせて、履いていた靴下を脱いでたけしにはかせた。
そして、ヘルパーのキイチ君に電話して、事情を話して迎えに来てもらうことになった。

一安心。
さあコンビニまで歩きますか。

靴下をはいて歩きやすくなったのか、さっきよりスピードが増した。
そして驚いたことに歩道をちゃんと歩いている。
発見した時も思ったが、てっきり道の真ん中歩いているのかと思ったら、線だけの歩道をちゃんと歩いている!

結局コンビニの手前で、キイチ君の車に会うことができた。
本人は「え!?」って顔だったがなんとか車に乗り込んだ。
そして家まで送ってもらった。

しかしまだ続きがある。

今度は車から降りない。2人いるから無理やり降ろすことはできる。
しかし、確実にコンビニに行こうとしていたのだから本人は不本意なのはよくわかる。

仕方がない。

キイチ君に頼んで、とにかく靴を履いて、お財布をもって、コンビニまで車で行ってもらう。
このタイミングでコンビニはやばいかもと思ったが、たけしの大冒険を無下にくじくのもなんだかかわいそうになってしまった。
この後どんな大惨事が待っているかわからないが、行くことにした。

 コンビニに着くと、飴コーナーで、物色。でも以前より触らない。
キイチ君によると最近「飴活」やってないそうだ。

 一時期、シェアハウス生活のたけしは毎日の買い物に出るたびに、コンビニだの、スーパーだのの飴コーナーにはまって、同じ飴の袋を買い続けるというブームがあった。
そのためたべない飴玉が大量に発生していた。
それをヘルパーさんたちが、小袋に作ったたけしの名刺と一緒に入れて、行った先々に営業みたいに配るということを「飴活」と称して行っていた。

「最近やらなくなったんですよ~。飴コーナーにはいくんですけどね」とキイチ君。
なるほど。
とはいえコンビニから立ち去る気配はない。

20分ぐらいたったら、キイチ君が入れ物の石を拾ってきてくれて、上手に外に出してくれた。
さすが!きいちヘルパー、お見事!

と感心していたんだが、今度は車に乗らず、もう一度コンビニに入ろうとする。
気持ちはわからんでもないが、結局買わないじゃん!

仕方がないので、キイチ君に「もりもりやま」(たけしが好きな飴の商品名)を買ってきてもらって、なんとか車に乗り込んだ。
そして無事に家に着いた。

 たけしの飴歴は長く、この飴騒動?問答?みたいなものはかれこれ15年ぐらい続いている。
飴は石に似ていて、入れ物から出し入れもできるし、いい音がするし、甘いし、おまけにあのビニールのカシャカシャ感もたけしはたまらない。いいことづくめだ。
しかし、私は飴をなるべくたけしに渡したくない。
甘いからそこらじゅうべとべとになるし、掃除は厄介、歯にもよくないし、食事にも響いてしまう。
どうしても買うところまでは許すが、そのあとは本人が気が着かないうちに間引きしたり、こっそり捨てたり・・。

しかし今日は、覚悟を決めて「全部あげるから車から降りよう!」と促した。
嘘はつけないので、全部あげた。
たけしは半信半疑ではあるが車から降りて、なんとか家に入ることができた!

ほんとキイチ君にいてくれて助かった。ありがとう。
こうやって駆けつけてくれる人がいるなんてほんとしあわせ。

 思い起せば、ここに住んで20年になるが、こんなに遠くに脱走することは今まで一度もなかった。でもそれは当然で、家から2kmも先のコンビニまで散歩するなんて考えたこともない。
大体コンビニは鬼門で、帰れなくなるのが落ち。ただでさえ帰れない人なのに、コンビニ籠城までセットの散歩なんてするはずもない。

しかしなぜ今日、一人でコンビニに行けたかといえば、先日佐々木ヘルパーと千花ヘルパーと家からコンビニまで楽しく冒険してきたからだ。
たけしは、発語も食事も排せつも全然できないのに何でか道は覚えられる。
ただ交通ルールはわからないから、道路も横切るし、道の真ん中歩く。
今日発見した時に、すでに1kmは歩いていたがちゃんと歩道を歩いていた。

今日の姿を見ていたら、たけしの世界はとても広がっていることを感じた。
「コンビニに行こう」と脱走していけてしまう。
それだけの知恵というのか経験値が上がったのだと思う。(ちゃんと歩道歩いているし!)

自分の意思を持って行動する。こんなことができる人になったんだなと。
いろいろな冒険をアルス・ノヴァやシェアハウス積み重ねているのだと思う。
それが彼の意思や、知恵や、生活力を確実に形作っているのだと今日改めて実感した。

勿論、手のない家では脱走されたらお手上げなので、柵は作りましたが。

しかし、元気なたけしはもう一人では見ることができないなあ。
彼のクオリティーオブライフの実現は、親である私では到底実現できない。
シェアハウスの次なる展開が必要か???