2025年03月24日18:45

2025年2月11日
たけしが昨年11月から体調が悪い。
てんかん薬の変更
眠剤の減薬
苦手な冬
が重なって、絶不調。
体重も3キロ、筋力が落ちた。(ふくらはぎ回りで1.5センチ減!)
睡眠、食事がとれない→風邪をひく→治らない
このループまさに2歳頃と全く同じ。
ずっと咳き込みつらそう。
だからといって一気に回復しない。
とにかく第一は、睡眠
その次が、
栄養補給。
全ては睡眠から始まるので、4日前から自宅で療養中。
本当だったらシェアハウスに戻すのだけれど、このループを断ち切らないと。
同時に私も寝れないけど。まあ仕方がない。
ヘルパー事業者ウルトラもサポートしてくれてます。
しかし、やはり体調不良は本当に難しい。
何がどうやら全くわからない。みんなで悩んでます。
不機嫌、イライラ、ご飯を食べない、暴れる、こだわり、咳込みが同時に起こる。
普通が通用しないたけし。(普通はならば自らおとなしくするのだが、かえって暴れる。)
明日、
てんかんセンター受診と、
内科受診
この時期は、成年後見人報告書作成もあり、、今週中に出さないといけない。
(私はたけしの成年後見人でもある。たけしの父が亡くなってから、相続でそうしなくてはいけなくなった。ほんと、私たちにとっては悪法だと私は思う)
書かなけれいけない原稿もある。
こういう時に限って度胸がすわるというのか。これも長年の積み重ねなのか?
それにしても、たけしは全国でも難しい部類に入る人だと思う。
そういう人の自立を私たちは実行している。
ものずこい学びを身を挺して提供してくれている。
やっぱりたけしはパイオニアだ。。
どっかで発表したいぐらい。
研究者の皆様、どうでしょうか?
写真はタンが絡んで飲み込めなくなってしまっているたけしの栄養補給を考えて買ってきた粉ミルク。
なんか色々思い出すなぁ。
2025年2月13日
今、たけしが調子悪くて家にいる。
今日で7日目。
ご飯やドロドロの流動食をぶちまけられたり、ガラスや戸棚、テレビをバンバン叩いて破壊されそうになったり。
数時間前、ちょっと目を離した隙に、沸騰式の加湿器を投げて熱湯を浴びて、裸にして、喘息で養生しているにもかかわらず、この寒いのに冷水浴びさせて。
また肺炎になったらどうしようと思いながら、体をチェックし、お湯に変えて温めて、体を拭いて、パンツをはかせて、洋服を着せて・・。
その間暴れるから、まるで格闘技。
私はこういうとき、めちゃくちゃ切れてるし、情けなくて、切なくなる。
60過ぎの女が、うんちやおしっこや、暴れる30近くの息子とバトルしている姿は、世間的には、悲惨なのかもしれないけど。
私は、これが「生きていること」だと思う。
さすがに続くと、神経と体力削られて行くけれど。そして最近は、自立生活を始めているから、年中こうではないが。しかし、こういう時間は私の現実の中にはある。
そして、自分のことを惨めだとは思ったことがない。(特殊な能力?なのかもしれないが。)
私はこれこそ
生きている証だと思う。
人生なんて、結局、こんなもんなのよ。
とも。
さあ、今から寝かすぞ〜!
2025年2月14日
たけしの自立生活は、レッツのスタッフの涙ぐましい努力と叡智によって完成しつつある。
しかし、たけしの健康管理だけはスペシャル難しい。
私も支援者の一人として参画しながら一緒に悩んでいる。
シェアハウスは共同生活だから時として自宅のほうがいい時もある。
特に病気のとき。
そして私が一人で見ているのではなく、皆さんにも手伝ってもらっている。
しかし、本人が全く治そうと思っておらず、養生しない。
だから治るものも治らない。
で、こじらす。
最後の砦が自宅。
自立生活において、家族の使い方としてこれは正しいと私は思う。
これは5年の歳月をかけて、様々な葛藤と議論と対話の中から私たちが編み出してきた一つの方法。
時間はかかるものだ。
写真はキイチヘルパーが自宅で支援。
2025年2月21日
今週、たけしはシェアハウスに戻った。
そして、ヘルパーさん達の創意工夫でなんとか、睡眠、栄養をギリギリ確保。
少しづつ、固形物も、口にしてくれるようになってきた。
てんかん発作、薬の副作用による食欲不振、下痢、体重減少、体調不良からの肺炎、喘息発作、さらに花粉症。
と、とにかくトリプルパンチ。
そんな状態の中、私も含めて、訪問介護、訪問医療、アルスノヴァ、ウルトラが連携しながら彼の自立生活を支えるシステムが作られていく。
これってすごいことだ。
この轍が、重度知的障害者の自立生活の大切な知見として後進たちに活用できるように、私たちもまとめていかないといけない。
いつもだけど、たけしはチャレンジャー。身を挺して道なき道を切り開いていく。
2025年3月24日
壮の体調
2月21日シェアハウスに戻り、そこから一週間、レッツスタッフの皆さんの献身的な支援もあって、3月に入ってやっと調子が戻ってきた。
そして3月7日、てんかんセンター―受診。てんかん薬の副作用として食欲減退はやはり支援や介護を難しくしている状況を訴え、薬を1日5ミリから4ミリに減らすことになった。
これで大きなてんかん発作が起きなければそれでよしとするが、難しいようであれば、もう一度手術を考えなければいけない・・・。
その後、やっと固形物に興味を示すようになった。(てんかん薬の恐ろしさも改めて知る)
この2週間、結構調子もよく、表情もいい。アルス・ノヴァのスタッフたちもやっと平穏な気持ちが戻ってくる(わたしも)。
3月21日の受診では、このまま様子を見ることになる。
そして懸案である眠剤の減薬を来月から始めましょうと先生から。
3月24日、今また家に帰ってきている。
今度は今はやっているウイルス性胃腸炎に罹患したようだ。
幸い下痢だけのようだが、ヘルパーさんのけがもあって、3月はシフトがかなり大変だった。それもあって今日は自宅療養に。他の皆さんにうつっても困るしね。
ヘロヘロしながら、昏々と寝るたけし。
案の定、ご飯を口にしない。(また始まったか??)
2週間と安定した体調がないたけし。
よく考えたら生まれてからずっとこんな感じ。
常に体調が変化する。安定感がない。
何でも口に入れてしまうし、外に転がっている石をなめて回っているようなものだから、いろいろなものが体に入っているんだろう。
そして言葉もないから、暑いのか、寒いのか、どこが痛いのか、調子が悪いのかも皆目わからない。
すべてを介助者にゆだねているのだから、それは体調も安定しないだろう。
ほんとよく生きていると思う。
もし私が一人で介護していたら、相当追い詰められていたと思う。
それこそ将来を悲観して・・、みたいなことも冗談ではなく、簡単に起こっているだろう。
と同時に、自分で施設を立ち上げてしまったからこそ、こうした人たちを支えていく重さみたいなものも感じずにはいられない。
時々怖くなることも私にだってたまにある。
だからこそ、明るく、楽しく、クリエイティブに、支えていく「福祉」を考え、実験し、作り上げていかないとだな。
早く治りますように。
壮の体調 2025年2月11日~3月24日≫

2025年2月11日
たけしが昨年11月から体調が悪い。
てんかん薬の変更
眠剤の減薬
苦手な冬
が重なって、絶不調。
体重も3キロ、筋力が落ちた。(ふくらはぎ回りで1.5センチ減!)
睡眠、食事がとれない→風邪をひく→治らない
このループまさに2歳頃と全く同じ。
ずっと咳き込みつらそう。
だからといって一気に回復しない。
とにかく第一は、睡眠
その次が、
栄養補給。
全ては睡眠から始まるので、4日前から自宅で療養中。
本当だったらシェアハウスに戻すのだけれど、このループを断ち切らないと。
同時に私も寝れないけど。まあ仕方がない。
ヘルパー事業者ウルトラもサポートしてくれてます。
しかし、やはり体調不良は本当に難しい。
何がどうやら全くわからない。みんなで悩んでます。
不機嫌、イライラ、ご飯を食べない、暴れる、こだわり、咳込みが同時に起こる。
普通が通用しないたけし。(普通はならば自らおとなしくするのだが、かえって暴れる。)
明日、
てんかんセンター受診と、
内科受診
この時期は、成年後見人報告書作成もあり、、今週中に出さないといけない。
(私はたけしの成年後見人でもある。たけしの父が亡くなってから、相続でそうしなくてはいけなくなった。ほんと、私たちにとっては悪法だと私は思う)
書かなけれいけない原稿もある。
こういう時に限って度胸がすわるというのか。これも長年の積み重ねなのか?
それにしても、たけしは全国でも難しい部類に入る人だと思う。
そういう人の自立を私たちは実行している。
ものずこい学びを身を挺して提供してくれている。
やっぱりたけしはパイオニアだ。。
どっかで発表したいぐらい。
研究者の皆様、どうでしょうか?
写真はタンが絡んで飲み込めなくなってしまっているたけしの栄養補給を考えて買ってきた粉ミルク。
なんか色々思い出すなぁ。
2025年2月13日
今、たけしが調子悪くて家にいる。
今日で7日目。
ご飯やドロドロの流動食をぶちまけられたり、ガラスや戸棚、テレビをバンバン叩いて破壊されそうになったり。
数時間前、ちょっと目を離した隙に、沸騰式の加湿器を投げて熱湯を浴びて、裸にして、喘息で養生しているにもかかわらず、この寒いのに冷水浴びさせて。
また肺炎になったらどうしようと思いながら、体をチェックし、お湯に変えて温めて、体を拭いて、パンツをはかせて、洋服を着せて・・。
その間暴れるから、まるで格闘技。
私はこういうとき、めちゃくちゃ切れてるし、情けなくて、切なくなる。
60過ぎの女が、うんちやおしっこや、暴れる30近くの息子とバトルしている姿は、世間的には、悲惨なのかもしれないけど。
私は、これが「生きていること」だと思う。
さすがに続くと、神経と体力削られて行くけれど。そして最近は、自立生活を始めているから、年中こうではないが。しかし、こういう時間は私の現実の中にはある。
そして、自分のことを惨めだとは思ったことがない。(特殊な能力?なのかもしれないが。)
私はこれこそ
生きている証だと思う。
人生なんて、結局、こんなもんなのよ。
とも。
さあ、今から寝かすぞ〜!
2025年2月14日
たけしの自立生活は、レッツのスタッフの涙ぐましい努力と叡智によって完成しつつある。
しかし、たけしの健康管理だけはスペシャル難しい。
私も支援者の一人として参画しながら一緒に悩んでいる。
シェアハウスは共同生活だから時として自宅のほうがいい時もある。
特に病気のとき。
そして私が一人で見ているのではなく、皆さんにも手伝ってもらっている。
しかし、本人が全く治そうと思っておらず、養生しない。
だから治るものも治らない。
で、こじらす。
最後の砦が自宅。
自立生活において、家族の使い方としてこれは正しいと私は思う。
これは5年の歳月をかけて、様々な葛藤と議論と対話の中から私たちが編み出してきた一つの方法。
時間はかかるものだ。
写真はキイチヘルパーが自宅で支援。
2025年2月21日
今週、たけしはシェアハウスに戻った。
そして、ヘルパーさん達の創意工夫でなんとか、睡眠、栄養をギリギリ確保。
少しづつ、固形物も、口にしてくれるようになってきた。
てんかん発作、薬の副作用による食欲不振、下痢、体重減少、体調不良からの肺炎、喘息発作、さらに花粉症。
と、とにかくトリプルパンチ。
そんな状態の中、私も含めて、訪問介護、訪問医療、アルスノヴァ、ウルトラが連携しながら彼の自立生活を支えるシステムが作られていく。
これってすごいことだ。
この轍が、重度知的障害者の自立生活の大切な知見として後進たちに活用できるように、私たちもまとめていかないといけない。
いつもだけど、たけしはチャレンジャー。身を挺して道なき道を切り開いていく。
2025年3月24日
壮の体調
2月21日シェアハウスに戻り、そこから一週間、レッツスタッフの皆さんの献身的な支援もあって、3月に入ってやっと調子が戻ってきた。
そして3月7日、てんかんセンター―受診。てんかん薬の副作用として食欲減退はやはり支援や介護を難しくしている状況を訴え、薬を1日5ミリから4ミリに減らすことになった。
これで大きなてんかん発作が起きなければそれでよしとするが、難しいようであれば、もう一度手術を考えなければいけない・・・。
その後、やっと固形物に興味を示すようになった。(てんかん薬の恐ろしさも改めて知る)
この2週間、結構調子もよく、表情もいい。アルス・ノヴァのスタッフたちもやっと平穏な気持ちが戻ってくる(わたしも)。
3月21日の受診では、このまま様子を見ることになる。
そして懸案である眠剤の減薬を来月から始めましょうと先生から。
3月24日、今また家に帰ってきている。
今度は今はやっているウイルス性胃腸炎に罹患したようだ。
幸い下痢だけのようだが、ヘルパーさんのけがもあって、3月はシフトがかなり大変だった。それもあって今日は自宅療養に。他の皆さんにうつっても困るしね。
ヘロヘロしながら、昏々と寝るたけし。
案の定、ご飯を口にしない。(また始まったか??)
2週間と安定した体調がないたけし。
よく考えたら生まれてからずっとこんな感じ。
常に体調が変化する。安定感がない。
何でも口に入れてしまうし、外に転がっている石をなめて回っているようなものだから、いろいろなものが体に入っているんだろう。
そして言葉もないから、暑いのか、寒いのか、どこが痛いのか、調子が悪いのかも皆目わからない。
すべてを介助者にゆだねているのだから、それは体調も安定しないだろう。
ほんとよく生きていると思う。
もし私が一人で介護していたら、相当追い詰められていたと思う。
それこそ将来を悲観して・・、みたいなことも冗談ではなく、簡単に起こっているだろう。
と同時に、自分で施設を立ち上げてしまったからこそ、こうした人たちを支えていく重さみたいなものも感じずにはいられない。
時々怖くなることも私にだってたまにある。
だからこそ、明るく、楽しく、クリエイティブに、支えていく「福祉」を考え、実験し、作り上げていかないとだな。
早く治りますように。