たけしが骨折した!~母親の性が発動~やばい!

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なれない裁縫で手作りしなくたっていいのあるじゃん!とあとから気が着く。



 たけしが右足の付け根あたりを骨折(骨折というより転んで骨が欠けた?)てんかんの発作で後ろに倒れて右足付け根を強打したらしい。
一瞬の出来事だったようだ。
それからさすがに痛いらしく歩けなくなった。
次の日救急車で駆け付けたがうまくレントゲンが撮れず(本当はMRIがいいらしいけどほとんど不可能)、5日目となる月曜日大きな病院の一般外来を受診。ウルトラヘルパー2名が担いで病院内を移動して、何とかレントゲンが撮れた。全治1か月。
これ以上ひどくしないように安静にしてほしいとのこと。(大きな骨にひびが入ったら手術らしい。)
まあさすがに痛いらしく立ち上がらないがしかし、ハイハイしたり、ずったりして動き回る。
たけしは痛覚が弱い。普通の人よりも痛さを感じないから、けがなどいつもひどくなってしまう。今回も今は相当痛いのだろうけれど、ちょっと良くなると動き回るし立ち上がろうとするだろうな。
1か月かあ。大変だ!

最近てんかんの薬を変えている。そのため発作が頻発し転倒が多かった。後ろにゆっくり倒れるタイプで、たびたび尻もちもついていた。しかし、頭を打つことに気をとられていてガード用の鉢巻きつくったりしたけど尻もちはノーマークだった!
早速パンツを改造したり、スケボー用のプロテクターを取り寄せたり。とにかく倒れることは予防できなくても強打しないように対策!
早くやっておけばよかった!!

こういうことがあると、27年前を思い出す。
たけしは生まれた時から口唇口蓋裂があって、1歳半までに3回手術した。口が鼻とつながっているから、おっぱいが吸えない。搾乳して一滴一滴スポイトで口の中に入れていく。本人はおなかすいているのにそんな調子だから大泣き。疲れ果てて寝てしまう。(こっちもへとへと)

だから大きくなれず、体も弱かった。先生からは鼻から胃に直接チューブをつないで栄養を流し込むことを進められた。しかしこのチューブがすぐに抜けてしまう。そして自宅で入れることができない(医療行為らしいし難しい)

それよりも何よりも、すごく不自然に感じた。
生まれたての赤ん坊に障害があるとはいえ、直接胃にチューブで流し込んだ入りしたら口からものが食べられなくなるのではと。だからチューブに頼らないで、何時間もかけて、スポイトで流し込む。
アホみたいな作業だったと今は思うが、しかしあのまま胃に流し込んでいたら、たけしは口からものを食べる感覚を失っていたのではないかと思う。
そんなの母親の感でしかないのだけれど。

 手術は東京の病院で、検査やなんやらで何度も東京に行った。たけしを大きなかごに入れて。夫は丁度店をオープンしたてだったから忙しくて、姉を祖父母に預けて。
道中何度ものぞき込み、口が裂けている赤ん坊を見てキョッとする人たち。おかわいそうにと同情する人たち・・・。あの疎外感というのか、、孤立感というのか。

入院したらしたで完全看護じゃないから、私も100日以上、たけしのベットの横で寝泊まりした。
大部屋は口唇口蓋裂の同じような立場のお母さんたちが大勢いて、みんなで悩みを吐露したり。どんだけ救われることか。
しかし壮は弱くてすぐに感染してしまうので、個室に移った。
そこは隣が集中治療室で毎日のように子供が亡くなっていく。
そして何年も病院に入院している子供を何人も見た。そのお母さんたちとも話ししたけれど、みんな妙に明るくて、そうでもしないとこの状況に耐えられないのだと思った。
そして初めて、こうした現実があることを知った。
そして何があってもこの子を育てていこうと決心したベットサイド。
今思うと一番きつかった時代。若かったからできたとしか言いようがない。


たけしがけがをするとあの時がよみがえってくる。
あの不安で不安でたまらなかった日々がフラッシュバックする。
そして母親モードにスイッチが入るのを感じる。

もう27歳で自立生活をしている青年なのだから、いい加減に忘れてもいいものなのに。
母親の性だよね。

つまり「心配という2文字と「何とかしなくっちゃ」というモードが一気に押し寄せる。
そして誰が迷惑するって、通っていいるアルス・ノヴァやシェアハウスの生活を支えてくれているスタッフたち。

この辺の顛末はまた。
いやはや。
たけしの自立はいかに??

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