弱さが見える街

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弱さが見えるまち
「Withコロナ!時代の社会包摂を担う人材育成と浜松市中心市街地の新しい在り方検討事業」(日本財団2020~2021年助成)第1回全体会、所信表明

私は重度の知的障害のある息子、たけしが生まれる前に、都市デザインの仕事をしていました。それは街づくりから関わることが多く、そこにどんな人が住み、どんな生活をしているのかを調べ、そこから景観を考える仕事でした。
たけしの誕生によって仕事ができなくなり、都市デザインの仕事から離れました。
その後は、障害福祉のかかわりが強くなりました。
たけしを育てていて感じたことは、障害者はいつも社会の外側にいるということです。
彼らの存在はいつもセンターではなく、アウトサイドにありました。そして、ほとんどの市民の意識も、彼らは常に守ってあげなければいけない人たちで、自分と一緒ではなく、庇護される立場として見られていると感じました。

それは障害者だけではなく、認知症の高齢者も、子どもも、同じだと感じています。
福祉は対象となる人たちが安心していることができる特別な場所を作り、そこで高度なケアが行われます。それは身体的な健康を維持するには効果があるかもしれません。しかし決して、社会の一員として、社会に混ぜていこうとはしていませんでした。アウトサイドな場所で、当事者たちだけのユートピアをつくっているように私には見えます。
これは、彼らの存在を社会から隠してしまうことになります。一般の人がそうした人たちと接する機会を亡くし、ともに生きるチャンスを奪ってしまうことだと思います。

皆さんは、2017年に起こった相模原の障害者殺傷事件を覚えていますか。
19名の重い障害者が殺傷された痛ましい事件は、随分と話題になりました。『障害者はいらない』と言い放った加害者の言葉は多くの波紋を残しました。しかし、今のように、障害者が常にアウトサイドにいて、その姿が見えないのであれば、こうした事件は今後も起こると私は思います。社会にいないも同然にしてしまってはいけないと思いました。

また、税金だけ使って生きているのならば、むしろいなくていいのではないかと考える人が多くいることも、あの事件は露呈させました。
つまり、生きることがお金に換算されるのです。
いくら税金を払っているのか、いくら儲けているのかが人の価値基準になっています。
だから障害者も、高齢者も、子ども、ホームレスも、引きこもりも、社会のお荷物のように思われます。
しかし、人生100年の時代を迎えてずっと元気でバリバリ働ける人がいるでしょうか。誰しも病気になったり、弱くなることがあります。
この社会は、弱くなった途端に、排除される恐怖に皆がおびえます。それだけ弱くなることがいけないことだと思われているのです。
しかし、実際、排除されません。日本は福祉が発達している国です。多くの支援があります。しかし、そこに頼ったら終わりだというイメージも多くあります。
またこうした、「弱くなったら終わりだ」という強迫観念が、何度でもリベンジできる、何度でもチャレンジできる社会づくりを奪っているのも確かです。

私は、この根底にも彼らの存在を知らないことが大きく原因していると思っています。そしてその解決方法の一つは、そうした立場の人たちを知ることだと思います。
自分と同じように家族がいて、ご飯を食べ、寝て、笑い、楽しみ・・そうしたリアルな姿をもし知っていたら、きっと違う発想が生まれるのではないかと思っています。


障害者も、認知症の高齢者も、小さな子供もみな、一人では生きていけません。どこにいるかと言えば、もちろん施設に入っている方々も多くいますが、そのほとんどは家族と住んでいます。つまり、皆さんの地域にいるのです。
しかし、皆さんの住んでいる街に、子どもたちが走り回っているでしょうか、認知症のおじいちゃん、おばあちゃんが歩き回っているでしょうか、障害者が散歩しているでしょうか。

皆さんはとても忙しく、皆さん自体が街をゆっくり歩いていないかもしれませんが、地域を歩いても彼らには出会わないのです。
実際、そうした人たちが地域に出ていないからです。
それではどこにいるのでしょうか。
保育園、幼稚園、障害者施設、高齢者施設、病院にいます。家にずっと閉じこもっている人も多くいます。
私たちの社会は、こうした人たちが出合わないですむ社会になっています。
そしてそれはモータリゼーションの発達している地方都市のほうが、より深刻なのです。

レッツは20年前の設立当初から「様々な人たちが共に生きる社会づくり」に取り組んでいます。それは私個人が味わってきた、「社会の一員として仲間に入れない」「存在自体を知られない」とった恐怖から始まった活動だといえます。私たちの存在を知ってほしいという切実な思いから始まっています。

2006年に行った商展06は、ユリノキ通りの7店舗をお借りして、障害のある人の絵を潜ませ、回遊してもらうというイベントを行いました。その後、今の鴨江アートセンターの前身の鴨江別館の保存活動や、鴨江別館や旧銀行協会の建物全部を使ったアートフォーラムの開催、旧文泉堂で行った「たけし文化センターBUNSENDO」、万年橋パークビルをお借りしたたけし文化センターINFOLOUNGEなど、障害のある人も参画しながら行うアートイベントを多数おこなってきました。そして多様な人たちがアートを通して交流する機会を提供してきました。
文化・芸術は教育的、教示的にならずに、楽しく多様な人たちと楽しむことができます。そしてアートはこうした人たちも包括しながら新しい価値感を作り出していけます。

こうした功績が認められて、2017年度芸術選奨文部科学大臣新人賞をいただきました。
そして2018年、連尺町に「たけし文化センター連尺町」を建設、障害福祉施設と音楽スタジオや、シェアハウス、ゲストハウスが併設される文化センターを開所しました。そして重度の知的障害のある人たちが毎日街に出かけています。

2020年は新型コロナウイルスが世界を席巻し、浜松の中心市街地も多くの打撃を受けています。飲食店中心の街のダメージは大きく廃業、閉店は後を絶たず、空き店舗も増加しています。
そしてこの流れは食い止めることができないといわれています。
一方で街は、だれにとっても通いやすく、利用しやすい場所です。そしていろいろな人や物事に出会えるチャンスが一番多くある場所です。

コロナの時代を迎えて、街の新しい在り方、活用の仕方、を考えてみたいと思います。
街は商業だけではない利点、人が出合い交流しやすく、いろいろな刺激や想像力の源となる場所としてとらえると、また違った可能性がみえてくるのではないでしょうか。

また、福祉の状況も変えていきたいと思います。
弱い人を助け、施す福祉ではなく、ともに生きることを通して、他者を知り、各々の寛容性を育てる福祉にできないでしょうか。
私はそれを、多種多様な人が集まりやすい街で実験してみたいと思います。

今回発表していただく、FUSEさん、Xcubeさん、みかわやコトバコさん、万年橋パークビルさん,リノベーションスクールさんの共通点は、街のそれぞれの場所でコミュニティを作り出していることです。そこから多くの出会いや創造性が生まれる可能性に期待しているところです。

そして、クリストファー大学の大場先生、つながりの青柳さんの発表は、引きこもりや、不登校、発達障害の方々、コロナ禍で困窮している人たちなど、行き場を失っている人たちの現状を発表していただきます。既存の福祉では解決できない問題ばかりです。
弱さをそれぞれが嫌うのではなく、一緒に受け入れていく、考えていくことが必要です。
こうした課題を、コミュニティという視点で皆さんと考えてみたいと思います。


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