2024年10月20日10:13







今年私の母、高木淑子さんが88歳の喜寿。
女性の平均寿命が87歳の時代。
病気一つせず、思ったことをズバズバいうところも全く変わることなく顕在。
子どものころから、迫力のある人(ロックともパンクともいう)だとは思っていた。
時には理不尽であったり、はたまた哲学者的であったり。
そして今でも私や妹弟にも多大な影響を与えている。
自分に正直に生きるというのは時に回りも傷つくし、本人も傷つく。それでも忖度なしに前に進む。
生き方としては生きづらいと思う。年をとって少しはおとなしくなったけれど、それでも何かをぶっ壊しても前に進む。(相変わらず理不尽)
(現在、弟と生活しているのだが、どんなに大変かは想像できる。カズさん、ありがとう!)
そいて、10月14日、静岡に住む母を浜松に招いて、主に久保田瑛(孫)夫婦がアテンドしてお祝いの会が設けられた。そして、もう一人の孫である壮(たけし)も参加。
姉からの通達は「おばあちゃんに何かプレゼントを用意すること」
そしてたけしの支援者とたけしでかなり悩んだらしい。
相手は淑子さんである。気に入らなければ「いらない」と突き返される。
さあどうするのか。
浜名湖の景色が一望できるレストランでの会食。お客さんが引いてほぼ貸し切り状態になったところで正装したたけしと今日の支援をしてくれているフキ子さんとヨーイチくんと登場。
そして、レストランが用意してくれたケーキと瑛さんの花束と、そしてたけしから一輪挿しをプレゼント。
その姿に、私も本当に驚いた!
私の知っているたけしじゃない。
淑子さんをじっと見つめているたけし。そこには、28歳の若々しい青年がいた。
「僕はもうちゃんと自立しているよ。おばあちゃん。」と。
なんと凛々しく、たくましいことか。
そして淑子さんが泣いた。
私もほとんど見たことがない母の涙。
それはどんな感情が去来したのかはわからない。
孫二人がちゃんと自分の人生を歩んでいる。もう、子どもではない。
その安どの涙なのか。
特に「障害」についてクラシカルな通念からなかなか脱却できない感情への懺悔なのか。(ここだけは保守的であった)
そして、この会を企画の秀逸さに感嘆した。
瑛はたけしが一人の大人として誰かに「プレゼント」を手渡すことにこだわっていた。
常に庇護を受ける存在ではなく、誰かに何かを「贈与」することの必要性を訴えていた。
話を聞いていてもいまいちピンとこなかったのだが、こういうことだったのか。
誰かに何かを受け渡す。それを自覚的に行うことで初めて「自立」が成立するのか!
そしてこの会と、たけしの一輪挿しは、祖母に確実に何かを手渡した。
それは連綿と続く命のつながりの中に自分もいて、次の人に贈与していくこと。
時に「自分は何者だったのか」と悩む母。何者になることより、だれかにこうして贈与していくことこそが私たちの役割なのだ。
私の子育ても本当に終わったのだと実感した。
もう大丈夫。
この二人はどんなことがっても生きていけるだろう。
そして私の力なんかもはや必要ないほど、多くの人とともに生きていくのだろう。
とってもいい一日でした。
自立について考える~祖母の涙≫







今年私の母、高木淑子さんが88歳の喜寿。
女性の平均寿命が87歳の時代。
病気一つせず、思ったことをズバズバいうところも全く変わることなく顕在。
子どものころから、迫力のある人(ロックともパンクともいう)だとは思っていた。
時には理不尽であったり、はたまた哲学者的であったり。
そして今でも私や妹弟にも多大な影響を与えている。
自分に正直に生きるというのは時に回りも傷つくし、本人も傷つく。それでも忖度なしに前に進む。
生き方としては生きづらいと思う。年をとって少しはおとなしくなったけれど、それでも何かをぶっ壊しても前に進む。(相変わらず理不尽)
(現在、弟と生活しているのだが、どんなに大変かは想像できる。カズさん、ありがとう!)
そいて、10月14日、静岡に住む母を浜松に招いて、主に久保田瑛(孫)夫婦がアテンドしてお祝いの会が設けられた。そして、もう一人の孫である壮(たけし)も参加。
姉からの通達は「おばあちゃんに何かプレゼントを用意すること」
そしてたけしの支援者とたけしでかなり悩んだらしい。
相手は淑子さんである。気に入らなければ「いらない」と突き返される。
さあどうするのか。
浜名湖の景色が一望できるレストランでの会食。お客さんが引いてほぼ貸し切り状態になったところで正装したたけしと今日の支援をしてくれているフキ子さんとヨーイチくんと登場。
そして、レストランが用意してくれたケーキと瑛さんの花束と、そしてたけしから一輪挿しをプレゼント。
その姿に、私も本当に驚いた!
私の知っているたけしじゃない。
淑子さんをじっと見つめているたけし。そこには、28歳の若々しい青年がいた。
「僕はもうちゃんと自立しているよ。おばあちゃん。」と。
なんと凛々しく、たくましいことか。
そして淑子さんが泣いた。
私もほとんど見たことがない母の涙。
それはどんな感情が去来したのかはわからない。
孫二人がちゃんと自分の人生を歩んでいる。もう、子どもではない。
その安どの涙なのか。
特に「障害」についてクラシカルな通念からなかなか脱却できない感情への懺悔なのか。(ここだけは保守的であった)
そして、この会を企画の秀逸さに感嘆した。
瑛はたけしが一人の大人として誰かに「プレゼント」を手渡すことにこだわっていた。
常に庇護を受ける存在ではなく、誰かに何かを「贈与」することの必要性を訴えていた。
話を聞いていてもいまいちピンとこなかったのだが、こういうことだったのか。
誰かに何かを受け渡す。それを自覚的に行うことで初めて「自立」が成立するのか!
そしてこの会と、たけしの一輪挿しは、祖母に確実に何かを手渡した。
それは連綿と続く命のつながりの中に自分もいて、次の人に贈与していくこと。
時に「自分は何者だったのか」と悩む母。何者になることより、だれかにこうして贈与していくことこそが私たちの役割なのだ。
私の子育ても本当に終わったのだと実感した。
もう大丈夫。
この二人はどんなことがっても生きていけるだろう。
そして私の力なんかもはや必要ないほど、多くの人とともに生きていくのだろう。
とってもいい一日でした。