たけしの自立6 たけしの食事と介助と文化的生活

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1週間のたけしの肉の量。その一部は廃棄!もったいない!



7月30日、19時半から支援会議が行われた。こういうご時世なので相談支援さんや、ヘルパー事業所責任者はリモートで。
この日はたけしの支援がある日だったので、ヘルパーさんも入ることができるように3階のシェアハウスで行われた。
メインで入ってくれているヘルパー事業所さんの責任者とヘルパーさんが2名も参加してくれた。
この日は、たけしの他に、Mさん、Rさんも泊りの日だったので、それぞれにヘルパーさんがいて、にぎやかった。

自立についての抽象的な話はサクッと終わり、コロナ対策と情報共有、そしてたけしの睡眠、薬や食事のことが話題になった。
たけしはてんかんの薬のほかに眠剤も毎日2種類服用している。
睡眠障害があるので眠剤は必須なのだが、強めなので一つにしたいと担当医も言っている。しかし、自宅だと途中で覚醒されるのが一番困る(なぜなら一緒に起きないといけないから家族も疲れてしまう)。家でなかなか薬を減らすことができない。
しかしヘルパーさんとなら途中で覚醒しても対応してくれる。
事実夜の2種類目の薬はだいぶ減ってきていた。
しかし、このコロナの時期に、途中覚醒はどうかという話になった。
途中で起きるということは睡眠不足になる確率は高い。それによって、体調を崩したら元も子もない。そこで、2種類目の眠剤は服薬しつつ、調整しようという話になった。

また食事も話題になった。
たけしは今、1日2食半。
朝たくさん食べると昼が食べることができない。逆に朝軽めだと、お昼はがっつり。
昼は毎日、私がお弁当を作っている。
宿泊があっても私が昼を作る。
ということは朝の状況によって弁当の量を調整しないといけない。
ヘルパーさんには宿泊した日は朝の様子だけ教えてもらうようにしている。
これは実は結構面倒でもある。
しかし、食事の自立はたけしの場合最後の最後だと考えているので、この苦労はいとわない。それよりも食べなくて、体調崩すほうが怖い。(ここも過剰な親心ではあるのだが・・・)

ヘルパーさんたちは朝必ず食事を用意してくれる。
しかし食べたり食べなかったりする。
せっかく用意した食事が余る。
基本処分することになる。
そこで、朝食べなかったときに、お弁当として持たせるのはどうか。そうすればお母さんの負担も減るという提案があった。
一見効率よく聞こえる。
しかし私は今までの経験から、「多分食べない」と思った。

たけしの食はリズムがない。
普通の人は時間になったらおなかがすくし、食べ物を見るとそんなにおなかがすいていなくても食べたくなる。
しかし、そういう感覚がたけしにあるのかないのかわからない。
興奮すると全く食べないし、気分で食べたり食べなかったり。
さすがにおなかすいているだろうと思っても全く手を付けないときも多々ある。
病気になると、こんこんと寝続けて、2日でも3日でも全く食べなくなってしまうこともある。
家族としては「武にご飯を食べさせる」が一種、トラウマになっている。
とにかく食べさせなきゃ、という感覚が強い。と同時に、彼の食事が本当に厄介だし、ものすごく気を遣う。
私がいまだに弁当を毎日作るのも、彼の食を気にするのも、今までの、さまざまなにが~い経験からきていると思う。

と言いつつ、なんでも食べてくれる人ではない。偏食というよりもやはり気分。パターン(今はホットプレートで焼く蒸し焼き)があるので、朝と昼が一緒だと多分見向きもしないと思う。食欲の中枢ではなく見た目やら雰囲気で判断しているのだと思うのだ。
朝も食べず、昼も食べずをやられるとさすがにこの時期心配になる。
だったら、まだ私が昼を作ったほうがいい。

しかし大量に余ってしまう食材。捨てるのは忍びない。そこで以下のように返信した。

「朝ご飯を弁当にしても食べない確率が高いですね。今までもそうで、(たけしは)以外にグルメ?です。
それより冷蔵庫に保管して、夕食にアレンジしていただけると良いです。
家では残った食材はホットプレートのすみに島にして焼いて、新たに作るものは味を変えて(例えば残ったものが焼き肉のたれ味なら、新たに作るものはトマトソース味とか)、いろいろな味が楽しめるようにしています。
それなりに華やかさを作ってやると歓んで食べます。(そういうところはお坊ちゃまです。は~。)一度一緒に作ってみましょうか。」

これを書いていて「そうか!」と分かったことがある。たけしは食事に「華やかさ」みたいなものを求めているのかもしれない。
どうしても画一的になってしまう彼の食事。
とかく、介助者は「こんなもんだろう」と思って、義務的になってしまう食事。
まさに餌状態になることだってある。
しかし、彼も3食の食事は、それなりに楽しみにしているのだと思う。だから華やかさや美しさ、おいしさ、など、普通の人が食事に感じる雰囲気を彼も求めているのかもしれない。
私たち家族は、はっきりこうだという意思を伝えることもなく、食べたり食べなかったりするたけしに対して、食事自体の楽しさ、華やかさみたいなものを大切にしてきたのだと思う(めげずに)。

なんでも食べてくれる人ではないだけに、わかりにくいが、少なくとも、朝と昼が同じだと食べないというぜいたくぶりは、なんだかそこを無言で伝えているようにも思う。
ヘルパーさんの数だけ味付けがあって、そんな工夫をヘルパーさんたちが楽しんでやってくれるといいなあと思った。
そしてこれこそが「文化的な生活」なのだろう。

ついつい、ルーチンになってしまうたけしの食事介護。それは家族という限定した人たちでぐるぐる回しているからそうなるのかもしれない。それぞれのヘルパーさんやかかわる人たちのパーソナリティーがそれなりに垣間見れたら。もちろん食べないと困るから最低限の共有は必要だが、そこから先は個々のアレンジだろう。
重度知的障害者の「文化的生活」は、健常といわれる人たちと全く違った方向から形成されるのだと、食事1つとっても見えてくる。
なかなか奥深い。




 

後悔

カテゴリー │家族




最近曲を聴くのがめっきりダメになった。
聞いていると涙があふれてくる。

私は歌の歌詞があまり頭に入ってこない。歌詞カードで読めばわかるが、音に乗っている言葉がそれほど響かない。ほとんどBGM状態。

しかし、最近なぜか敏感になってしまった。
そして決まって、亡くなった夫のことを思い浮かべてしまう。

誰だって60年近く生きていれば人生のほとんどが苦しいことで構成されていることぐらいわかっていると思う。
私はつらいことはほとんど打ち捨てて、前しか見ないようにして生きてきた。
とにかく前へ、前へと。
困難も、つらいことも何かに変換して、とにかく生きながらえる。

その時に感じていた痛みや、細かな感情は感じないように、振り返らないようにしてきたように思う。
と同時に自分が本当に傷つくことも、痛むことも意図的に避けてきたのだと思う。

なんてつまらない人間だと思っている。
生きるのは上手かもしれないが。

夫は、自分の感情に正直に揺れ、傷ついたり、うろたえたりしながら、しかし常に相手のことに静かに思いをはせるのは人だった。

彼のこの振る舞いに私はいらだった時も多い。
しかし、彼がいなくなって、初めてわかることがある。
それは、彼が家族のため、私のためにどれだけ考え行動してきたか。
それを私は気が付かなかった。いや,気づこうとしなかった。
感情に蓋をしているのと同じように。

私が「弱さ」と嫌って、向き合おうとしなかったものは実は弱さではなかった。
弱さは実は強さなのだ。
悩み、痛み、それでも、誰かのために行動できる。
そんな感情をかかえ、向き合いながら、私に同じことができただろうか。

そして「ありがとう」とちゃんと伝えてただろうか。
そしてなんでそんなことに、彼がなくなってから気が付くのだろうか。

私たちの30年は本当に怒涛のように過ぎた。
本当に大変なことしか思い浮かばない。
いつも歯を食いしばってきたことしか。
しかし、やっと、たけしや娘の自立が見えてきて、私にも少し息を抜く余裕が生まれたときに、夫は先立ってしまった。
生きていればいくらでも修復できることが突然打ち切られた。

「君は一人で大丈夫だよ」
と思っていたのだろうし、愛想も尽きていたのかもしれない。

私はなんで自分の中にもあるこの弱さに向き合わなかったのか。
弱さを分かち合わなかったのか
「ありがとう」をちゃんと伝えなかったのか。

残念でたまらない。

夫がいなくなって1年半。
だんだんと感情が沸き上がってきて、どうしたらいいかわからなくなる。
それなりに大人だから、仕事も家庭も卒なくやっているが。
こうやって歌を聴いていると、無性に寂しくなる。

そしてこの涙は「さあ明日も頑張ろう!」という涙ではない。
自分の人生で失ってしまったものへの鎮魂、懺悔、そして「ありがとう」とちゃんと言えなかった自分への後悔なんだろう。





 

たけしの自立5 ~コロナと自立の姿~

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3月からたけしは自宅に戻っている。
昨年10月から始まった、たけし文化センター連尺町のシェアハウスでの自立生活(常時ヘルパーに支えられながら自立生活を送る)は、新型コロナウイルスや、様々な課題が露出したため、今年3月でとりあえず中止し、仕切り直しとなった。

3月下旬からは、前からお願いしていたヘルパー事業所がまず人材を補強してくれて、その人たちの研修からスタート。自宅にヘルパーさんがやってきて、たけしの食事介助、トイレ介助、外出などから改めて研修から始まった。
その結果、6月には週に3泊、シェアハウスに泊まれるまでになった。

しかし、なんと、7月下旬、とうとう浜松でも新型コロナウイルスのクラスターが出てしまった。
それもたけし文化センター連尺町とシェアハウスのすぐ近くである。
法人としては、運営は継続させながら、できる限りの対策を高じることとなった。
とはいえ、できることは基本的なことしかない。
手洗い、消毒、掃除、健康管理。それらをレベルを上げて徹底するしかない。
たけし文化センター連尺町にある障害福祉施設アルス・ノヴァには、マスクもできない、なんでも触って舐めてしまう利用者さんも多い。
だからと言って自宅待機できるわけでもない。(自宅にいると家族が疲弊してしまう)

そうした中で3階の利用をどうしたらいいのか。
コロナは怖い。
てんかんもあるたけしが感染して重篤化したら無事だとは思えない。
しかし、なんでも舐める、口に入れる、自分で手も洗わない、マスクもできないのがたけし。
家で頑張って待機するべきか・・・。
イヤイヤ、それでは私が参ってしまう。
彼が自宅で過ごせるのだったらそもそも自立生活なんて考えなかっただろう。
ヘルパーさんに自宅に来てもらおうか・・・・。

いや待てよ・・・!
何のために自立生活を始めたんだっけ?
ほとほと、彼の人生を親である私が決めることに大きな不安を感じた。
いつまでも私が彼の人生の「請負人」みたいなことをしたくないと始めたのだから、ここは私の判断で決めるのはおかしい。
このコロナの状況とは言え、私が自立生活を続けるのか否か、どうするか、決めるべきではないのではないか。

しかし、一方で、母親である私が管理するより、ヘルパーさんたちが入れ代わり立ち代わり管理するということは感染リスクは高まるということだ。
命の危険にさらされる確率が変わってくる。
ウ~ん。なんとも悩ましい。

しかし、もうたけしの自立生活は始まったのである。
「久保田さんところのたけし君」ではなく、普通の「あんちゃん」として生きていく生き方を選択したのだ。
いろいろな人に支えられて生きていくのだ。
それによって、もし、コロナに感染したとしても、それは、たけしの人生だと思うしかないのだ。
24歳の青年の人生。
普通のあんちゃんの。

明日たけしの支援会議が行われる。
この状況をどう乗り越えていくのか、皆さんで話し合っていただく。
「お母さんはどうしたいのですか」とまず聞かれる状況から、「こうした方針で行きたいがどうですか」と聞かれるのはずいぶんと違う。

3月に自立生活を中止した時、はっきり言って、親である私が、口出しした。
あの状況では仕方がなかったと思っている。
しかし、一抹の後悔というかなんというか。
「また手を出してしまった」みたいな。
だから、2度と手出ししたくはないのである!

人様にゆだねるというのは本当に命がけなんだなあとつくづく思う。
親が何かをしてあげるよりも手出ししないほうが数倍も大変だ思う。
そして、あとは、たけしの運にかけるしかない。

たけしは重度知的障害者ではあるが、自分で人生を切り開いていける人だと思っている。
今まで、私が彼に動かされてきたのだから。
それは私や家族の人生をかけて行ってきたところが大いにある。
そしてそれは、彼がそうさせたように思う。
大した人だよ。君は。

こうして、彼の生きるスキルは磨かれていくのだろうと思う。

がんばれ!たけし。
当分、すったもんだはあるだろうけれど、君は、自分の力で生きていける!