スタ☆タンと「表演未満、」

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 2018年お正月、1月7日、浜松の音楽の殿堂アクトシティ浜松で、「雑多な音楽の祭典スタ☆タン!!2」行いました。
延べ400名の方々にご来場いただきました!

昨年に引き続き2度め。
スタ☆タンとは、スター誕生のことだ。
音楽の創造都市浜松で、絶対扱われない音楽、音楽なのか音楽でないのかもよくわからない、音楽。
でも誰かが熱を持って取り組んでいることである。
それを表現としてステージに集めてみようということで始まったのがスタ☆タンだ。

 レッツが運営する障害福祉施設アルス・ノヴァでは、毎日音楽が鳴り響いている。
それは雑音にしか聞こえない様な、ある意味でたらめなものでもあるのだが、しかし、誰かが、すごく熱をもめてやっている行為でもある。
そして、それを発表することも、表に出していくことも、何かにしていくことも、あまり考えながらやっていない。
まるで「生活」と同化しているような行為。
それはもう一方でレッツが推進している「表現未満、」でもある。

表現未満、とは、

誰かが熱心にとりくんでいること
それが、その人の生活や生き方に根ざしていること
特別な人の特別な行為ではなく、個人の生活文化であること

と定義した。だからスタ☆タンはまさに「表現未満、」の祭典だった!

 レッツを始めるきっかけとなった 「くぼたたけし」は重度の知的障害者で、毎日入れ物に石を入れて1日中、打ち鳴らしている。
また紙破りが大好きで、紙を見ると必ず破る。
一日中溢れている、音、音、音・・・。むしろその「音」を楽しんでいるのかもしれない。まさに、音楽・・・?

しかし、こんな一見取るに足らない、無意味だとしか思えない行為は、誰も注目しない。
タッツパーの中の石の音も、紙破りの音も、音楽としての認識を普通は持ちにくい。

 たけしは、この行為を1歳ぐらいから21歳の今日まで、ホント、1日も休まずやり続けている。
それは、問題行動としか見てもらえないのだけれど、私はこれを問題行動と位置づけることは、彼の人格を完全に無視することに等しいと思ってきた。
だからといって、「これは彼の表現です!」とも言えない。

何故かと言うと、表現といった途端に何か特別感があるし、「見てほしい」「評価してほしい」という臭がしてくる。
だって本人は、「評価してほしい」とも「表現だ」とも言わないのだから(たけしは言葉を持たない)、それはないだろう。

ひたすら、くだらない、取るに足らない、と言われようがいまいが、自分がやりたいからやっている。
それがたけしにとって、イコール生きるってことなんじゃないかな。
それも、楽しく。
石と入れ物と、破ける紙があれば幸せって。

それを、レッツは「表現未満、」と命名した理由は、こういうまさに個人の文化を大切にしようぜ!って言う運動みたいなものだと思っている。

今回、アクトシティ浜松というホールで彼の紙破りと入れ物に石を入れて叩く行為が披露された。
びっくりした!

紙を破る音ってこんなにきれいな音なんだ!
たけしのタッパーに石入れて叩いている行為が、こんなにリズミカルで切れのいい音なんだ!
これはひとえにアクトのスタッフの音響さんたちの技術力だと思うけれど本当にきれいな音だった。

なんか涙、出た。

やっと「表現」って言えるものになったような気がした。
そして、レッツの音楽的アートのバックボーンである片岡祐介さんによる、片岡祐介賞をいただいた。

こんなに嬉しいことはない!

賞をもらった云々ではなくて、ず~と求めてやまなかった表現にやっと出会えた感じ。
これは今日だけのことで、消えてなくなってしまうことだけれど、すごく単純に嬉しかった。
そして、これは母親として、今まで、たけしのこれを大切に思い続けてよかった!
間違っていなかったというのか。
取り上げなくて本当に良かったという報われ方。

しかし、
そんなことは全くお構いなしに、たけしは、せっかくもらったトロフィーをぶん投げていたし、今日もひたすら、石を打ち鳴らし、紙を破る・・・。
きょうもひたすら、
表現未満、・・・。

そしてこんなハレの日は、もう来ないかも知れない。
それが「表現未満、」

だからすごいんじゃ~。