2024年10月10日21:12

いま新潟に向かっている。明日からの大地の芸術祭見学ツアーに参加する。
大地の芸術祭は今年で9回目を迎えたそうだ。3年に一度開催されているから27年続いている。すごいことだ。私は回2目から見に行っている。そして私の人生において、そして私たち家族にとって、芸術祭との出会いはまさに革命であった。
私の家族には障害者のくぼたたけしがいる。私は芸術の教育を受けていたこともあり、美術館や展覧会など見に行くのが好きだ。しかしたけしが生まれてから、遠出ができなくなった。遠出どころか、365日1日も休むことができない介護の日々が延々と続く生活であった。次第に遠くでやっている展覧会などは見に行けなくなった。
そうした中で唯一、家族で出かけられるのが芸術祭だった。とくに大地の芸術祭は浜松から車で3~4時間で行ける。そして車で回ることができる。そしてほとんどの展示は野外。これはすこぶる我が家には都合がいい。大体静かなところには入ることができないたけし。おとなしくできないからほとんどの美術館や展覧会は難しい。
それに比べて芸術祭はたけしが走ろうが、何かを触ろうが、寝転がろうが、騒ごうが、いっこうに気にしなくていい。少し大きめのキャンプもできるような車(ボンゴブレンディ)に、ブランカ(愛犬:ゴールデンレトリバー)もつれて訪れることを可能にした。我が家族が唯一出かけられる旅行先となった。
思い起こせば、私のたけしとの生活の一番大変な時期に家族で出かけることができた芸術祭は、恐ろしほどの閉塞感の中にある日常から解放され、作品を見ていると本当に生きる力が湧いてきた。その後毎回家族では出かけられなくなっていったが、それで必ず訪れた。
私は芸術祭を通して、本当の意味での芸術を理解していったように思う。ホワイトキューブの中ではない、地域や、風土や様々な課題に対してのアーティストたちの応答に触れることで、芸術の意味や本質を深く考える機会となった。
そしてそれは、私が運営するクリエイティブサポートレッツの活動にも多大な影響力を及ぼしている。障害の人ともに、ただそこにいることをひたすら認め、ともに楽しむことを追求しているレッツ。世間一般の常識とは逸脱していることを疑うことも、ぶれることもなく、ひたすら積み上げてこれたのは、芸術の根幹を学び体感するこうした機会があったからだと思う。
芸術祭は私が受けてきた美術教育とは明らかに違っていたし、たけしというほとんどの常識から逸脱している人と見て回った体験は、芸術の寛容性と豊かさと創造性の可能性を、どんな人でも享受できるものだと確信した。そして、芸術を崇めるでも、ひな壇に飾るものではなく、市井の(私の)日常に息づき、私自身を変え、生きる力となっていくといった、なにものにも代えがたい学びであった。
さあ明日はどんな出会いがあるのだろうか。
私と芸術祭≫

いま新潟に向かっている。明日からの大地の芸術祭見学ツアーに参加する。
大地の芸術祭は今年で9回目を迎えたそうだ。3年に一度開催されているから27年続いている。すごいことだ。私は回2目から見に行っている。そして私の人生において、そして私たち家族にとって、芸術祭との出会いはまさに革命であった。
私の家族には障害者のくぼたたけしがいる。私は芸術の教育を受けていたこともあり、美術館や展覧会など見に行くのが好きだ。しかしたけしが生まれてから、遠出ができなくなった。遠出どころか、365日1日も休むことができない介護の日々が延々と続く生活であった。次第に遠くでやっている展覧会などは見に行けなくなった。
そうした中で唯一、家族で出かけられるのが芸術祭だった。とくに大地の芸術祭は浜松から車で3~4時間で行ける。そして車で回ることができる。そしてほとんどの展示は野外。これはすこぶる我が家には都合がいい。大体静かなところには入ることができないたけし。おとなしくできないからほとんどの美術館や展覧会は難しい。
それに比べて芸術祭はたけしが走ろうが、何かを触ろうが、寝転がろうが、騒ごうが、いっこうに気にしなくていい。少し大きめのキャンプもできるような車(ボンゴブレンディ)に、ブランカ(愛犬:ゴールデンレトリバー)もつれて訪れることを可能にした。我が家族が唯一出かけられる旅行先となった。
思い起こせば、私のたけしとの生活の一番大変な時期に家族で出かけることができた芸術祭は、恐ろしほどの閉塞感の中にある日常から解放され、作品を見ていると本当に生きる力が湧いてきた。その後毎回家族では出かけられなくなっていったが、それで必ず訪れた。
私は芸術祭を通して、本当の意味での芸術を理解していったように思う。ホワイトキューブの中ではない、地域や、風土や様々な課題に対してのアーティストたちの応答に触れることで、芸術の意味や本質を深く考える機会となった。
そしてそれは、私が運営するクリエイティブサポートレッツの活動にも多大な影響力を及ぼしている。障害の人ともに、ただそこにいることをひたすら認め、ともに楽しむことを追求しているレッツ。世間一般の常識とは逸脱していることを疑うことも、ぶれることもなく、ひたすら積み上げてこれたのは、芸術の根幹を学び体感するこうした機会があったからだと思う。
芸術祭は私が受けてきた美術教育とは明らかに違っていたし、たけしというほとんどの常識から逸脱している人と見て回った体験は、芸術の寛容性と豊かさと創造性の可能性を、どんな人でも享受できるものだと確信した。そして、芸術を崇めるでも、ひな壇に飾るものではなく、市井の(私の)日常に息づき、私自身を変え、生きる力となっていくといった、なにものにも代えがたい学びであった。
さあ明日はどんな出会いがあるのだろうか。