たけしのてんかん発作2~親じゃ決めれないたけしの将来

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たけしのてんかん発作2~親じゃ決めれないたけしの将来



たけしのてんかん発作。
先日てんかんセンターに受診し、薬物療法では治まらないこと、手術という方法があることが分かった。

18年間苦しんできた、たけしのてんかん発作。
手術という方法はずいぶん前から知っていたのに私はここに興味が持てなかった。というより避けて通ってきたように思う。
それはやはり私にとって、手術、入院っていうのがある種のトラウマになっているからだと思う。

たけしが生まれてすぐ3回の手術があり、ほぼ1年間、入院していた。それは私にとっていい思い出ではない。
同時に私が母親として目覚めた時期でもあったが、まさに崖っぷちの選択をも求められた時期だった。

病院にいて強く思ったことは健康に生んでやれなかったことへの慚愧の思い。今私は障害者の施設をつくり、特に重度知的障害者が社会にいろいろな方法で出る事業を行っている。それは重度知的障害者のありのままの姿を良しとして、そのままで社会に出るべきだと強く思っている。
しかしあの病院という環境下で、たけしの障害は、どうしようもできないことだとわかっていても、なぜこれほどまでに過酷な運命をたけしは背負うことになってしまうのか、そして健康に生んでやれなかったことに対しての申し訳なさみたいな感情を抱いていたように思う。そして病室という暗い空間の中で徹底的に慚愧の思いを味わったがゆえに、ならば明るく楽しく生きていこう!と、その後覚悟が決まる、まさに出発点みたいなものがたけしと私の入院生活にはある。

だから、手術、入院と聞くと、あの時の私の姿がフラシュバックする。
できれば避けて通りたいと思っていたことは事実だろう。

しかし今たけしは自立している。そしてこれは私の人生ではなく、たけしの人生であること。
あの頃1歳にも満たないわが子とは全く違う。28歳の自立した青年なのだ。
私が決めることではない。
もちろんたけしが発語するわけでも、こうしたいと意思表明できるわけではないが、しかし、たけしだったらどうしたいのか、どう生きたいのか。
幸いたけしの周りには多くの支援者やたけしを友人のように思っている人々が大勢いる。
あのころと違って、たけしはちゃんと社会で生きている。
たけしの選択がどういうものなのかはわからないとしても、皆で考えていけばいいのだ。



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