2024年06月03日14:44
インバウンドは街を救わない≫
カテゴリー │レッツ
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「浜松ちまた会議」浜松の街づくりを考える~インバウンドは街を救わない
6月1日評議員をさせていただいているハウジングアンドコミュニティ財団の交流会があった。本年度採択された20団体が一堂に会して交流する場が近江八幡で開催された。
その中で福祉的な居場所づくりを行っている団体のノミネートも多く、摂食障害、独居、高齢男性、過疎などそれぞれにある課題を居場所として解決していこうという様々な試みの発表もあった。
そもそもこの団体は街づくりへの支援がメインだと認識していたが最近福祉的な案件の応募が多いと聞く。
それはやはり世相を反映していると思うし、行政や制度、既存のコミュニティでは手が届かない隙間を埋めるこうしたNPO的な活動が増えてくるのは仕方がない。
私も毎年助成金をチェックし応募している立場から感じることは、意外にこうした活動を支援してくれるところは少ない。助成金は震災や天災が起こるとそちらへの支援が厚くなる。
恒常的な居場所づくりや社会的な課題をかかえている人のケアは本来は行政や社会福祉協議会、公民館等、公共でできることがたくさんある。
しかしそうはいっても手が入らないから、市民が自助的にやらなくてはいけないようになっている。
レッツの25年のNPO活動でたくさんの心ある市民の活動と接してきた。
しかしやはり継続は難しい。うまく公共と連携してやっている地域もたまにあるが本当に少ない。
そうした課題満載の中で活動を続けるということはやはり並大抵の努力ではできない。
行政に依存するのではなく丁度いい距離感でともに向上していく関係づくりができるのかどうか。
それは私たちの課題でもある。
今回、近江八幡の街並み見学みたいなコーナーもあって街歩きをした。市役所の職員の皆さんの説明で街を1時間ほど歩いた。
近江八幡は太平洋線戦争で爆撃を受けていない。だから街並みや古い建物が残っている。
またそれらの保存活動や改修も市民の自治で行ってきたようだ。市民のプライドが街の景観を守っているといっていい。
しかし、今ここに多くの観光客が訪れている。いわゆるインバウンド。市役所の皆さんのそこは推奨しているようだ。
こういう状況を見ると私は「観光公害」という言葉が頭に浮かぶ。
市民が街づくりを頑張るのは自分の住む街が住みやすくなってほしいから。しかし成功し始めるとそこに観光産業がドカッと入ってくる。
特に行政は経済効果を期待してインバウンドを進める。しかし私はそれにもやもやする。
本当にいい街は住んで暮らしやすいこと。働く場所があって、子育て、介護、文化、といったインフラ整備が整っていて人にやさしい街になること。
そのために税収が必要とよく言われるが、インバウンドは「公害」(ごみ、騒音、環境、治安など)も多いしそれにかかる税金は結局市民が払う。本当に税収がアップしているといえるのか。
もちろん多くの住民が第3次産業に従事している温泉街ならわかるが、普通の市民の生活環境を観光地化していいのか。
浜松の街も商業で成功していた時期があった。その時に多くの住民は郊外に移り住んでいる。
そして人が住まなくなった街は商業だけの街となり、バブル崩壊、リーマンショック等によってあっという間にダメになる。
多様性を言われる時代が到来し、街においても多様な人が群れ、商業だけではなく、居場所、アート・文化、福祉、アメニティなどいろいろな軸が求められている。商業主体のインバウンドでは形成されない。
浜松はものづくりに市民のプライドがある。
行政もスタートアップ、イノベーションなど新しい産業を生むことに力を注いでいる。それが功を奏しているかはよくわからないが、しかしこれを市民は応援しているしそういった新規性、創造性を求めている街だと思う。
浜松市は震災で壊滅的な被害にあった。また地震のことをとても気にしている。
だから歴史的な建造物らしいものがほとんど残っていない。歴史がないというのは文化も同時に消えていく。
一から作っていかなければいけない街だ。
それを新規性の推進力にしてきた街なのかもしれない。
今、重度知的障害者の施設を街中で複数つくりながら、「福祉によるネイバーフット構想」や、「浜松ちまた会議」などいろいろな構想を打ち出している。
それは詰まるところ、自分の住んでいるところをよくする。まず自分たちが快適に住めるよう、暮らせるようにすることの表明でもある。
そして地味なようで、こうした小さな集積がいい街につながっていくのだと思う。
外圧ではなく、主体は私たちだよ。
「浜松ちまた会議」浜松の街づくりを考える~インバウンドは街を救わない
6月1日評議員をさせていただいているハウジングアンドコミュニティ財団の交流会があった。本年度採択された20団体が一堂に会して交流する場が近江八幡で開催された。
その中で福祉的な居場所づくりを行っている団体のノミネートも多く、摂食障害、独居、高齢男性、過疎などそれぞれにある課題を居場所として解決していこうという様々な試みの発表もあった。
そもそもこの団体は街づくりへの支援がメインだと認識していたが最近福祉的な案件の応募が多いと聞く。
それはやはり世相を反映していると思うし、行政や制度、既存のコミュニティでは手が届かない隙間を埋めるこうしたNPO的な活動が増えてくるのは仕方がない。
私も毎年助成金をチェックし応募している立場から感じることは、意外にこうした活動を支援してくれるところは少ない。助成金は震災や天災が起こるとそちらへの支援が厚くなる。
恒常的な居場所づくりや社会的な課題をかかえている人のケアは本来は行政や社会福祉協議会、公民館等、公共でできることがたくさんある。
しかしそうはいっても手が入らないから、市民が自助的にやらなくてはいけないようになっている。
レッツの25年のNPO活動でたくさんの心ある市民の活動と接してきた。
しかしやはり継続は難しい。うまく公共と連携してやっている地域もたまにあるが本当に少ない。
そうした課題満載の中で活動を続けるということはやはり並大抵の努力ではできない。
行政に依存するのではなく丁度いい距離感でともに向上していく関係づくりができるのかどうか。
それは私たちの課題でもある。
今回、近江八幡の街並み見学みたいなコーナーもあって街歩きをした。市役所の職員の皆さんの説明で街を1時間ほど歩いた。
近江八幡は太平洋線戦争で爆撃を受けていない。だから街並みや古い建物が残っている。
またそれらの保存活動や改修も市民の自治で行ってきたようだ。市民のプライドが街の景観を守っているといっていい。
しかし、今ここに多くの観光客が訪れている。いわゆるインバウンド。市役所の皆さんのそこは推奨しているようだ。
こういう状況を見ると私は「観光公害」という言葉が頭に浮かぶ。
市民が街づくりを頑張るのは自分の住む街が住みやすくなってほしいから。しかし成功し始めるとそこに観光産業がドカッと入ってくる。
特に行政は経済効果を期待してインバウンドを進める。しかし私はそれにもやもやする。
本当にいい街は住んで暮らしやすいこと。働く場所があって、子育て、介護、文化、といったインフラ整備が整っていて人にやさしい街になること。
そのために税収が必要とよく言われるが、インバウンドは「公害」(ごみ、騒音、環境、治安など)も多いしそれにかかる税金は結局市民が払う。本当に税収がアップしているといえるのか。
もちろん多くの住民が第3次産業に従事している温泉街ならわかるが、普通の市民の生活環境を観光地化していいのか。
浜松の街も商業で成功していた時期があった。その時に多くの住民は郊外に移り住んでいる。
そして人が住まなくなった街は商業だけの街となり、バブル崩壊、リーマンショック等によってあっという間にダメになる。
多様性を言われる時代が到来し、街においても多様な人が群れ、商業だけではなく、居場所、アート・文化、福祉、アメニティなどいろいろな軸が求められている。商業主体のインバウンドでは形成されない。
浜松はものづくりに市民のプライドがある。
行政もスタートアップ、イノベーションなど新しい産業を生むことに力を注いでいる。それが功を奏しているかはよくわからないが、しかしこれを市民は応援しているしそういった新規性、創造性を求めている街だと思う。
浜松市は震災で壊滅的な被害にあった。また地震のことをとても気にしている。
だから歴史的な建造物らしいものがほとんど残っていない。歴史がないというのは文化も同時に消えていく。
一から作っていかなければいけない街だ。
それを新規性の推進力にしてきた街なのかもしれない。
今、重度知的障害者の施設を街中で複数つくりながら、「福祉によるネイバーフット構想」や、「浜松ちまた会議」などいろいろな構想を打ち出している。
それは詰まるところ、自分の住んでいるところをよくする。まず自分たちが快適に住めるよう、暮らせるようにすることの表明でもある。
そして地味なようで、こうした小さな集積がいい街につながっていくのだと思う。
外圧ではなく、主体は私たちだよ。