親なき後をぶっ壊せ~たけしの新しい生活が始まる

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親なき後をぶっ壊せ~たけしの新しい生活が始まる


10月から久保田壮は重度訪問介護で、たけし文化センター連尺町の3階で生活を始まる。
重度知的障害者では浜松第1号だそうだ。

たけしは重度障害者で強度行動障害もあり24時間見守りが必要な人だ。
2年前まで1日だいたい、障害福祉施設アルス・ノヴァが8時間はフォーマルなサービスを利用していた。そして残り16時間は親(家族)が介護する生活だった。
そのうち寝る時間はあるとはいえ、いつ起きるかわからない、起きて何をしだすかわからない。となると親である私は残り13時間を管理しないといけなくなる。
これに日曜、祝日は入っていない私はアルス・ノヴァにみてもらっている間に、仕事もしなければいけない。買い物にも行かなければいけないし、家事もしなければいけない。と、ほとんど自分の時間など無くなる。

日曜日など休日は夫とたけしと3人で1日中どこにも降りることができないドライブを延々と続ける。
私の家は無駄に広いだけ厄介で、目が行き届かない。おとなしくしているかと思いきや、脱走はするは、窓ガラスは叩き割るは・・・。まだ車に閉じこもってドライブしている方が楽だった。
待ったなしの24時間。そのストレスは甚大なものだった。そしてとうとう夫が倒れてしまった。

夫が療養のため家から離れることになった。そうなって初めて私は声を上げる。
「一人で16時間は無理!」と。そうなってようやくいろいろな機関が動き出してくれた。
そして西区にあるヘルパー事業所が強力にサポートしてくださるようになった。

そこから1日に3時間ほどヘルパーさんが入ってくれるようになった。
日曜日祝日は4時間ほど。
本当に信じられないほど(私の気持ちが)楽になっていった。
まず多くのヘルパーさんが家を出入りするようになった。すると、たけしが変わり始めた。最初は抵抗していたがだんだんとそうした生活に慣れ、ヘルパーさんたちと結構うまくやっていく。大人になった。
一方私は、たけしがいるときは家に帰れないので20時ごろまで外にいないといけない。おかげでその間に知り合いと食事したり、夜の会議に出たり、本を読んだり・・。ちょっとはまともな生活ができるようになった。

しかしなぜこんなにも声をあげることができなかったのだろう。
私はレッツを運営しているのだから福祉制度にもある程度精通していたし、機動力もあったはずだ。
それでもここに関して行動できなかったのはなぜなのだろうか。

それは「家族でなんとかしなければ」という思いが強すぎたのだと思う。
そもそも私はそれほど家族的な感覚を持ち合わせている人種でもない。いくらかわいい子供であっても、人格は別だと思っているし、お互いの人生は違うと思っている。翻って、自分の人生は自分のものであり、本来は自由であるべきだと思っている。
しかし、何十年も障害児の母親業を行い、福祉という世界に身を置いているうちにすっかり「洗脳」されていったように思う。
つまり「立派な母親像、家族像」を追い求めてしまっていたように思う。
それは自らの意志というよりも、「そう考えなければやっていけない!」という面も大きかったのではないか。
どこの地域もそうだと思うが子に関して家族、特に母親が受ける同調圧力というのは、巨大でしたたかだ。
有無も言わさず「そうせねばならない」気持ちにさせられる。
「いい母親、いい家族であれば介護や子育てなんてなんのその~。」という像を勝手に理想化してしまった。

そして、ようやく声を上げ、行動を始める。
昨年たけし文化センター連尺町の3階にたけしたちが住めるシェアハウスをつくり、一般の人たちのためのゲストハウスを併設させる。
今年から障害だけでくくらない、一般の人たちも出入りしている風通しのいい彼らの住まい、生活の研究が始まった。これを「たけしと生活研究会」と銘打って行っている。
その一環として重度訪問介護を使って「とりあえず」たけし君だけ生活してみる。そこから「みんなで住む」「集まって住む」に移行していく計画だ。

この事業の肝は『他者』だ。親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような人たちがどれだけ入り込んでいくか。
そしてもう一つ肝なのが「親が考えない」ことだ。
つまり、私が考えないこと。親の都合で作らないこと。彼らの第一の理解者、代弁者を「親」と考えないこと。

「親なき後」という言葉がある。
「親の死後、わが子が路頭に迷わないために今から何とかする」といった親心を象徴した言葉。
しかし私は「親なき後をぶっ壊せ」と言っている。

わが子といえども成人したたけしの人生を私は考えたくない。それはたけしの周りの人たちが同意しながら作っていけばいい。
親が考えたところで、所詮、老いていく自分たちと、いままでの苦い経験知から発想する生活なんでおもしろいものになるなんて思えない。
もっと言えば、親の安心、安全、気休めにどうしてもなってしまう。
それよりも、親からすれば「ちょっとそれは・・・」と思うことがワクワク行われる方がたけしの人生は豊かになるだろう。
私はそれを、少し遠くから時々眺めるぐらいがいい。

もちろん私にだって寂しさはある。
たけしと馬が合わないわけではない。大変だけど毎日やりがいにもなっている。寂しい気持ちと不安な気持ちはもちろんある。
しかしこと自分の人生として考えた時に、私はいつまでもいつまでもたけしと手をつないでいたくない。わたしはわたしの人生を生きたい。
私の場合、夫という最愛のパートナーを今年なくしてしまった。つまり間に合わなかった。
だからこそ余計、自由であれ!私たち家族!と叫ぶ。

人は、人と人との交流によって人生がつくられていくのだと思う。
その良し悪しは、親が決めることではなく、本人が決めていく。
重度の知的障害があってもたけしたちはそういう力がある。

まあこれからですが。
皆さん是非応援してください!
どんどんたけぶん(たけし文化センター連尺町)に泊まりに来て!!


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