自己流の偲び方でいい

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自己流の偲び方でいい

 2019年8月11日、夫の高校の友人が「偲ぶ会」を催してくださった。
その1か月前、発起人の皆さん4名浜松の我が家に来てくれた。
ご焼香して、歓談した。

何十年も会っていなかった夫の友人たち。皆白髪交じりで、30年の歳月を感じた。
しかし、夫との高校生の溢れるエピソードを話し出すと雰囲気は一変。
高校生の青年たちになっていた。
夫が亡くなって3か月、じわじわと喪失感みたいなものが襲っていた時期だった。
だからとても心が救われた。
久しぶりに元気な夫の姿が思い出された。

 偲ぶ会でも皆が思い出話に花が咲く。
夫は「級長」と呼ばれていたらしい。
それは本当の級長と違って、お調子者で盛り上げ役、夫が皆の輪の中にいたことがわかる。
ひとり一人が思い出話を語ると自然に笑いに包まれている。
そうだ。彼はこんな人だった。

私たち夫婦は2人とも生まれ故郷を離れて縁もゆかりもない浜松にやってきた。
夫はそこで一から店をつくった。翌年、障害のあるたけしが生まれた。手術と子育てに追われていた私は全く店を手伝った記憶がない。
独学で料理を学んだ彼には師匠や兄弟弟子はいなかった。
料理と接客をほぼ一人でこなしていた。
この時期が一番忙しかった。

そうこうしてクリエイティブサポートレッツが誕生した。今年で19年。たけしは23歳となった。
その歳月の中でいろいろなことがあった。
レッツの何度も存続の危機に直面した。
その時に支えてくれたのは夫だった。
今でこそ、いいスタッフに恵まれて、皆が一緒にレッツを盛り上げてくれるけれど、長い間、私は一人でも頑張らないといけない場面は多くあった。
それを何とか乗り越えてこれたのは、家族の支え、特に夫の支えがあったからだ。

夫は晩年は友人に会うことよりも、孤独を好んだ。
人の輪の中にいる彼と、孤独を好む彼。
どちらも夫の姿だった。

私たちはこの29年、一緒に人生を駆け抜けた。
ともに戦う同志みたいな関係だったのかなと思う。

夫婦にもいろいろな形がある。また時代がある。
これから、お互いが少し弱くなりながらいままでの日々を振り返って味わっていく時代に入る予定だったのかもしれない。
しかし、私たちにはその時間は訪れなかった。

まさに夫は人生を駆け抜けた。
激しく、優しく、知的な人であった。


 そもそも常識に欠ける私は、初盆だというのにそのセレモニーを全く行っていない。
娘と静かに迎え火を行い、お経が読める私たちは日々読経する。
まったく自己流のお盆を過ごしている。
7月にも同じことを行った。だから8月で2回目。(いつ帰ってくるのかよくわからないのでとりあえず2回行ってみた)

遺骨もまだ家にある。
お墓も決めていない。
でも格段そんなに問題があるともどうしても思えない。
私と娘とたけしにとって、本当に供養するにはまだ時間がかかるのだろう。
だから、いろいろな習わしにとらわれないで自己流に行っていこうと思っている。
それも夫らしいし私たちらしい。

今回、高校の同級生の皆さんとお会いして、そう、彼はこんな人だったと、少し忘れかけている姿に出会えた気がする。
本当に感謝だ。
と同時に、友だちってなんていいものなんだろう。としみじみ思った。

人は人に出会って生きていくんだと実感した。
そしてこれで、やっと、私と娘とたけしが行う「偲ぶ会」ができそうな気がしてきた。















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