「親亡き後」をぶっ壊せ その1

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「親亡き後」をぶっ壊せ その1

障害者の世界ではよく「親亡き後」と言うことばが使われます。
「親亡き後どうするか?」
は親の果てしないテーマです。
つまり、親が障害の子供の援助をできなくなった時、「この子はどうなるのだろう?」という不安や、「そうなっても大丈夫なようにしていく」といった決意など、親にとってはかなり重い言葉として捉えられています。

私はこの言葉が嫌いです。

まず、親亡き後に「困るだろう」と思っているのは誰なのか?
これは本人ではないと思うのです。
困っているのは親です。
「親が居なくなったらこの子は不幸になる。」や、「親が彼、彼女たちにとって最高の援護者である」というのが前提のような気がします。
だから「我々がいなくなったらこの子は困るだろう。だからなんとかしなきゃ」と。
これは「親の都合」のような気がします。

しかし、はたして、障害の子どもたちは親にそれほど期待しているでしょうか?
20歳をはるかに過ぎた大人の障害者たちが、親に庇護されていることを本当に幸せだと思っているのだろうか?
親と生活したい、親と暮らすのがいいと思っているだろうか?

もちろんたけしに聞いたところで(たけしは重度の知的障害者で言葉を発することも身辺自立もできません)、答えなんか返ってきませんが、しかし私は22年間の生活の中で、ここ2~3年、必ずしもたけしが私と居ることをそれほど「楽しい」とは思っていないことがわかるようになりました。
つまり、普通の子どもと同じように、20歳も過ぎていつまでも、親と一緒にいたって、うっとうしいだけの存在なのだろうと感じているのです。
そしてこの彼の、まるで普通の思春期の青年のような拒絶は、私にとってはうれしいものでした。
重度の障害者であっても感情はちゃんと成長しているのです。
いつまでも子供ではない!ということです。

しかし、この話は実はもっと複雑だと感じています。
というのも、親自身も、20歳を過ぎた大人の彼らと一緒に生活したいとは思っていないという事実があると思うのです。
親だって飽き飽きしているのです。
早くここから開放されたいと、本音のところでは思っている。
しかし、他に看てもらえるところが圧倒的にない!
そして、親自身の「人様に面倒をおかけするなんて申し訳無い」と言う社会に対する忖度が根強くあるのです。

だからここから開放されないのです。
それは望んではいけないことのようでもあり、だから、「私たち親が我慢すれば」「私たちが頑張れば」なんとかなると、親たちはずっと考えてきたのだと思います。
そしていよいよ、彼らを見れなくなった後、「どうすればいいのか・・」とある意味絶望感も感じながら、右往左往している・・。
それが現実です。

親である私だって同じようなものです。
しかし、つくづく考えてしまいます。

まず、親である私の人権はどこにいったのか?
障害者の親は一生、子供の面倒を見なければいけないのか。
それが障害者である彼らが望んでいることなのではなく、しかたがないからなのではないか。
そして、少なくとも私は、障害者の親であっても自分の人生を生きたいと思っていますが、それが奪われていると言えるのではないか・・。

たけしが生まれて障害がはっきりした時に、私は仕方なく仕事をやめました。
眼の前にたけしがいて、この子を育てていかなければいけなくなった時、「母親だから」仕事をやめてでも育てるしかない。と決断しました。
しかしその時に、「母親は子どもを育てるものだ」といった、固定概念が私にもあったと思います。
その時に「父はお金を稼ぎ、母は子育て」と言う役割分担が当たり前にあり、私もそれに疑いを持たなかった。
もちろん、仕事を続けられるだけの社会的資源(現在の放課後等デイサービスみたいなサービス)があったら、私は仕事をやめなかったと思いますが、それ以前に、ジェンダー的な役割分担が明白でした。

それから私は「母親」と言う役割を結構真面目にやってきたつもりです。それなりに楽しく、得ることもたくさんありました。しかし、なんというのか、母親は(障害の子供関係なく)、社会的な地位が低い。
「女がやって当たり前だろ」と言う、まるで人を人としてみていないような扱いを受けることが多々あります。母親(実は女)が、家族のためにかしずくのが義務のような感覚はまだまだある。
そしてそれは男性にだけではなく、同性である女性にも根強くある。

そしてこれが、障害者の自立を遅らせ、家族介護に縛り付けている原因ではないかと思えてきたのです。

もし、母親の人権、父親の人権、親の人権、子供の人権、障害者の人権がしっかり守られる風土があれば、20歳も過ぎた障害者をいつまでも親が倒れるまで面倒見なければいけないなんていう社会システムにはならなかったはずです。
そして、「親亡き後」なんていう、悲しいことばも生まれてこなかったでしょう。



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この記事へのコメント
同意見です。
昨年の秋、全国肢体不自由児者父母の会連合会全国大会で、社会学者の上野千鶴子氏が講演で、障害のある子の親の子育ての卒業がないのは如何?と指摘。会場はざわざわしました。
父母の会で年配の先輩の話を聞いていると自分のクローンがいて、自分と同じように子どもに接してほしいという、勘弁してくださいというような状況です。制度の善し悪しを別として、成年後見制度を利用しない理由でもあります。他人にはわかるはずがないと、相談やサービスの利用をせずままの人もいます。
我が家は、今年二十歳になる肢体不自由・知的障害の娘がいます。いずれ他人の手助けを必要として位していくとの思いから、地域の小中学校の送迎はボランティアさんにお願いしました。中学の途中からは電動車いすでの通学となりました。今は、二つの生活介護事業所へそれぞれ電車を乗り継いで通っています。そうした経験でいろいろな人と出会い、社会の一員であることを感じていると思います。
確かに社会に委ねることが容易でない環境ではあるけれど、死なない親はいないのだから、親の健在なうちにこそ、子どもの今を考えることが親の務めだと思います。
支援者がこの話題を持ち出すって、全くの誤りです。本人主体なんて、意思決定支援を持ち出すまでもなく、昭和の時代から言われていることです。ここでも、勘弁してくれとの思いです。
僕自身、学生時代は障害福祉のゼミでした。糸賀一雄氏と共に働き現場主義であった藤村哲が担当教官であった縁が不思議と言えば不思議な限りです。
今、娘が飲み物をコンビに買いに行って帰ってきました。
Posted by 平岡祐二 at 2018年05月06日 16:07
その2も含めて、とても興味深く読ませていただきました。
ほんとうに無くしたい言葉ですが、問題は、いまだにそれを考えなければならない状況が現実にあり、親が介助できなくなった後に、多くの障害者が本人は望まない入所施設に入所させられているということではないかと考えています。

私はB2012年から、型や就労移行で仕事をしているのですが、面談のたびに、少しずつでもいいので、通所以外でも親と一緒にいない時間を作りましょうと呼びかけて、移動支援や短期の宿泊などにつなげるよう心がけてますが、これから、どんな効果があるかはわかりません。

同時に現在、仲間と一緒に「知的障害者の自立生活声明」のキャンペーンに関わっています。https://jirituseikatu.jimdo.com/

「自立生活」という言葉が適当なのかどうかも迷いつつ(その思いは https://jirituseikatu.jimdo.com/%E8%87%AA%E7%AB%8B%E7%94%9F%E6%B4%BB%E5%A3%B0%E6%98%8E%E6%96%87%E3%81%AB%E5%AF%84%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8/ で書いてますが)、進めています。年内にもう一度、東京都内で集まりを持とうと思っています。
Posted by 鶴田雅英 at 2018年05月10日 05:54
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