2017年02月08日11:30
今、浜松市の駅前(と言っていいらしい)で、「表現未満、実験室」を行っています。
ザザシティー浜松向かい、ソフトバンクのある、金原ビルディングの2階と3階をお借りして、障害福祉施設とオルタナティブスペースをドッキングさせた場を作っています。
レッツの17年間の活動でいつもこだわって来たのは場づくりだったと思う。
それは、わたしとたけしと家族の居場所づくりから始まったことが大きい。
重度の障害のある子どもがいるだけで、なんとなく、社会から阻害され、健常者で普通に仕事をし、暮らしていたわたしが、突然、今まででのコミュニティーを失い、社会から周縁化してしまう。
それを自ら補おうとして始めた活動であり、なんとかしたいと思ってやってきている。
たけしの成長とともにその状況は変わる。
小さいときは、背中に背負っているバックパックのように、いつでもどこでも、まるで荷物のように一緒に行けた。
しかし、成長し、体が大きくなり、自我が目覚めてくると、一緒には動けなくなる。
また場所の移動、行動、こだわりなど、問題行動は年齢とともにより強度をましていく。(それが自我の目覚めでもあり、成長でもある)
だからといって預ける先も、一人置いてくることもできない。
彼には彼の世界が欲しくなる。
そして、わたしにとっても同じく、お互いに開放されたいと思う。
それがたけし文化センターを作り、アルス・ノヴァ、INFOLOUNGE、のヴぁ公民館をつくる原動力となってきた。
今回3年ぶりに再び街にやってきて思うことがある。
特に、2008年~09年に行った、たけし文化センターBUNSENDOは、そのネーミングの鋭さと、ある意味でのかっこよさで全国的に話題となった。
それは、鈴木一郎太くんと深澤孝史くんという、2人の秀逸なアーティストがいたからこそ生み出された場だったと思う。
しかし、名前こそ、「たけし文化センター」だったが実はあそこにたけしは居なかった。というかいることができなかった。
また障害の人たちももちろん関わっていたが、たけしと同じような、「重度」と言われる人たちは、ほとんど来ることができなかった。
一般的には、重度の障害の人がいようがいまいが、中・軽度の障害の人であろうが、障害者は障害者なのだから関係ないだろう。
そしてその名の通り、「たけし基準」で作られている場であるのだから、たけしが居ないからと言って、何が問題なのかと思われる。
しかし、そこに、並ならぬこだわりがあるのが、わたしなのだから仕方がない。
どうしても「重度の人たちがそこにいる」ことが重要だった。
またそうした場を、私自身が一番見てみたいとも思っていた。
その後2010年、浜松市の住宅街に、アルス・ノヴァという障害福祉施設を作ることになる。法定施設を運営することで、初めて、重度の知的障害の人たちの居場所を、自ら本格的に作ることができた。
さらに、そこから4年後、歩いて1分のところに、誰もが利用できる「のヴぁ公民館」を併設させた。
そして今回、たけし文化センター事業が始まって約9年後、アルス・ノヴァを初めて7年後にやっと、街の中で、重度の障害の人を核としたオルタナティブスペースを作ることを目的に、実験が始まった。
一昨日、たけし文化センターBUNSENDOの事業を知っている方から、前に比べて閉鎖的な感じがする。本当にここから広がりが生まれていくのだろうかと問われた。
それは、重度の障害の人たちがいることによる、閉鎖感、違和感があるということだろうと思う。
また、活動自体を知ってもらいたいと思うのであれば、障害を全面に出すことは、逆の効果となってしまうのではないかといった、率直なご意見だった。
しかしだからこそ私はそれをやりたいと思っている。
自戒を込めて言えば、たけし文化センターBUNSENDOの時代に、重度の障害者に対するネガティブなイメージを、私自身が払拭できなかった。
つまり引け目に思っていた。
しかし施設運営を通して、多くのスタッフが関わり、特に福祉の勉強を特別してこなかったスタッフが、まるで彼らと友達のように、当たり前に接し、振る舞う日常を目撃できたことは、親として見がちな、どちらかと言うと前のめりの私の視線を、複眼的にしてくれた。
そして、スタッフ自信が、安定したり、困ったり、疲れたりしながらも、自分自身も家族、コミュニティーに対して、深く考えていくひっかっかり。
こうした現場は、人が人と出会い、相互に影響されていくものだということがわかる。
関係づくりにおいて、障害だからでできないなんてことはほとんどなく、人として普通に振る舞うことが、重度の障害の人であってもできるし、それが当たり前なのだと思う。
もちろんそれがまちなかにある必要があるのかどうかはまた考えたいと思うが、あえて、人と出会える可能性の高い「街」に住んでみたいと思っている。
重度の障害のある人がつくるオルタナティブスペース≫
カテゴリー │レッツ
今、浜松市の駅前(と言っていいらしい)で、「表現未満、実験室」を行っています。
ザザシティー浜松向かい、ソフトバンクのある、金原ビルディングの2階と3階をお借りして、障害福祉施設とオルタナティブスペースをドッキングさせた場を作っています。
レッツの17年間の活動でいつもこだわって来たのは場づくりだったと思う。
それは、わたしとたけしと家族の居場所づくりから始まったことが大きい。
重度の障害のある子どもがいるだけで、なんとなく、社会から阻害され、健常者で普通に仕事をし、暮らしていたわたしが、突然、今まででのコミュニティーを失い、社会から周縁化してしまう。
それを自ら補おうとして始めた活動であり、なんとかしたいと思ってやってきている。
たけしの成長とともにその状況は変わる。
小さいときは、背中に背負っているバックパックのように、いつでもどこでも、まるで荷物のように一緒に行けた。
しかし、成長し、体が大きくなり、自我が目覚めてくると、一緒には動けなくなる。
また場所の移動、行動、こだわりなど、問題行動は年齢とともにより強度をましていく。(それが自我の目覚めでもあり、成長でもある)
だからといって預ける先も、一人置いてくることもできない。
彼には彼の世界が欲しくなる。
そして、わたしにとっても同じく、お互いに開放されたいと思う。
それがたけし文化センターを作り、アルス・ノヴァ、INFOLOUNGE、のヴぁ公民館をつくる原動力となってきた。
今回3年ぶりに再び街にやってきて思うことがある。
特に、2008年~09年に行った、たけし文化センターBUNSENDOは、そのネーミングの鋭さと、ある意味でのかっこよさで全国的に話題となった。
それは、鈴木一郎太くんと深澤孝史くんという、2人の秀逸なアーティストがいたからこそ生み出された場だったと思う。
しかし、名前こそ、「たけし文化センター」だったが実はあそこにたけしは居なかった。というかいることができなかった。
また障害の人たちももちろん関わっていたが、たけしと同じような、「重度」と言われる人たちは、ほとんど来ることができなかった。
一般的には、重度の障害の人がいようがいまいが、中・軽度の障害の人であろうが、障害者は障害者なのだから関係ないだろう。
そしてその名の通り、「たけし基準」で作られている場であるのだから、たけしが居ないからと言って、何が問題なのかと思われる。
しかし、そこに、並ならぬこだわりがあるのが、わたしなのだから仕方がない。
どうしても「重度の人たちがそこにいる」ことが重要だった。
またそうした場を、私自身が一番見てみたいとも思っていた。
その後2010年、浜松市の住宅街に、アルス・ノヴァという障害福祉施設を作ることになる。法定施設を運営することで、初めて、重度の知的障害の人たちの居場所を、自ら本格的に作ることができた。
さらに、そこから4年後、歩いて1分のところに、誰もが利用できる「のヴぁ公民館」を併設させた。
そして今回、たけし文化センター事業が始まって約9年後、アルス・ノヴァを初めて7年後にやっと、街の中で、重度の障害の人を核としたオルタナティブスペースを作ることを目的に、実験が始まった。
一昨日、たけし文化センターBUNSENDOの事業を知っている方から、前に比べて閉鎖的な感じがする。本当にここから広がりが生まれていくのだろうかと問われた。
それは、重度の障害の人たちがいることによる、閉鎖感、違和感があるということだろうと思う。
また、活動自体を知ってもらいたいと思うのであれば、障害を全面に出すことは、逆の効果となってしまうのではないかといった、率直なご意見だった。
しかしだからこそ私はそれをやりたいと思っている。
自戒を込めて言えば、たけし文化センターBUNSENDOの時代に、重度の障害者に対するネガティブなイメージを、私自身が払拭できなかった。
つまり引け目に思っていた。
しかし施設運営を通して、多くのスタッフが関わり、特に福祉の勉強を特別してこなかったスタッフが、まるで彼らと友達のように、当たり前に接し、振る舞う日常を目撃できたことは、親として見がちな、どちらかと言うと前のめりの私の視線を、複眼的にしてくれた。
そして、スタッフ自信が、安定したり、困ったり、疲れたりしながらも、自分自身も家族、コミュニティーに対して、深く考えていくひっかっかり。
こうした現場は、人が人と出会い、相互に影響されていくものだということがわかる。
関係づくりにおいて、障害だからでできないなんてことはほとんどなく、人として普通に振る舞うことが、重度の障害の人であってもできるし、それが当たり前なのだと思う。
もちろんそれがまちなかにある必要があるのかどうかはまた考えたいと思うが、あえて、人と出会える可能性の高い「街」に住んでみたいと思っている。