2016年01月11日18:42

1月9日、たけしの成人式がありました。
浜松特別支援学校の卒業生50名と、父兄や先生方が集まっての成人式。
卒業式の謝恩会も同じ会場だったので、2年ぶりの再会でした。
たけしは小、中、高と12年間浜松特別支援学校(通称:浜特)にお世話になった。
小学1年生の時に確か13名の入学だった。6年後の中学入学は20名弱、9年後の高等部入学はいっきに60名に膨れ上がった。
浜松市内中部、西部、南部の発達支援学級から40名近くが、高等部に入学してくる。
今まで、20名だった同級生が、60名になるということは学校の雰囲気がガラッと変わる。
会話などほとんどできない子どもたちの学校から、生徒会とか、部活などがある学校へと変わるわけだ。
知的障害というのも幅があって、一般の会社に就職できる子どももいる一方で、たけしみたいな子どももいる。
たけしは、今ではなくなってしまった生活コースの生徒で、同級生が3人のクラスだった。
そもそもあまり学校が好きではない私は、PTA会長などやっては見たものの、この高等部の生徒さんをほとんど知らない。
いろいろな行事はあっても、たけしと一緒では、我が子の世話をするだけで精一杯。
運動会も、学習発表会も、大変だった記憶しかない。
たけしが重いからというわけではないが、こうした行事の、「出来る子が前に出る」あのシステムに、違和感を通り越してもったいないとしか思えなかった。
学校というのは、「何かを学ぶ」「何かを治す」ことが目的なのはわかるが、学習発表会にしても、運動会にしても、一生懸命頑張った成果ばかりをたたえる。
努力することを否定はしない。
しかし、いわゆる、健常者のモデルにひたすら沿うことばかりを要求されるのは、おかしくないか。
あるお母さんが、「できないからこの学校にいるんじゃないですか」といった言葉は的を得ている。
健常者とは違う、価値観、生き方を模索すればいいのに。
私はむしろ、そんなことお構いなしに、後ろでぴょんぴょん飛び跳ねていたり、突然舞台から疾走したり、何をやらかすかわからない子どもたちのパフォーマンスの高さに、惚れ惚れしていた。
これを前に出さない手はないと、何度か学校に提案したこともあるが全く取り合ってもらえなかった。
そんな感じだから、親子共々、学校がそれほど好きではなかったと思う。
それでもやめないで(やめたところで預かってもらえるところもなかったのだが)、通ったその動機は、長谷川先生がいたからだ。
長谷川先生は、中高6年間たけしのクラス担任だった。といっても中学も3名のクラスだから、ほとんど専任の先生だった。
定年最後の6年間を、3人のために尽力してくださった。
たけしは12年間学校に通っても、排泄も、食事も、着替えも確立できなかった。
それだけ最重度の人であることは確かだが、私はそのために学校に通っていたのではないと思っている。
できないものは仕方がないのだ。
それよりも、親ではない人と親密な信頼関係を築けたことは、きっとたけしの人格形成に大きな影響を与えたのではないかと思っている。
いい時も、悪い時も、何かに折り合いをつけて、日々を過ごす。
そうしたことは、こだわりが強く、情報処理能力が未熟で、至って普通ではない彼は人の何倍も過敏に反応してしまうし、スルーすることもできない。
それでも「おりあい」をつけることができるのは、信頼関係があるからだ。
そうした、「社会」を、たけしは長谷川先生と培うことができた。
いくら障害が重くても、成長の段階を踏み外すことはないという。
つまり、赤ちゃんがそうであるように、まず、お母さんとそして家族、少人数の友だち・・と、だんだんと社会を広げていくのだそうだ。
たけしは多くの人と関わりたいと思っていはいないかもしれないが、いざそうした社会に出ても、それなりにやっていけるのではないかと思えるのは、(身辺の自立ではなく、メンタルの部分で)その礎があったからだ。
変な話だが、私は、たけしを死ぬまで面倒見たいとは思っていない。
またよく障害のある親に言われるが、「親なきあとどうするか」ということも心配していない。
何とかなると楽観している。
その根拠は明確にはないのだが、どんなに障害が重くても、自分の人生は自分で決めるのではないかと思えてならない。
最近のたけしは本当に大変で、それこそ、一緒に住めない日は近いかもしれない。
しかし、それは親が体力がなくなったせいでも、たけしの体力がついたからでもない。
つまり、そういう時期になったということだ。
たけしが長谷川先生と出会い、親交を温めたのも、彼の力だと思う。
この人たちは実はとってもたくましい。
もうじき二十。(彼は遅生まれで、2月1日が誕生日)
これからどんな人生が待っているのか。
一人の普通の親として、楽しみにしている。
成人式 自立について考えた≫
カテゴリー │家族
1月9日、たけしの成人式がありました。
浜松特別支援学校の卒業生50名と、父兄や先生方が集まっての成人式。
卒業式の謝恩会も同じ会場だったので、2年ぶりの再会でした。
たけしは小、中、高と12年間浜松特別支援学校(通称:浜特)にお世話になった。
小学1年生の時に確か13名の入学だった。6年後の中学入学は20名弱、9年後の高等部入学はいっきに60名に膨れ上がった。
浜松市内中部、西部、南部の発達支援学級から40名近くが、高等部に入学してくる。
今まで、20名だった同級生が、60名になるということは学校の雰囲気がガラッと変わる。
会話などほとんどできない子どもたちの学校から、生徒会とか、部活などがある学校へと変わるわけだ。
知的障害というのも幅があって、一般の会社に就職できる子どももいる一方で、たけしみたいな子どももいる。
たけしは、今ではなくなってしまった生活コースの生徒で、同級生が3人のクラスだった。
そもそもあまり学校が好きではない私は、PTA会長などやっては見たものの、この高等部の生徒さんをほとんど知らない。
いろいろな行事はあっても、たけしと一緒では、我が子の世話をするだけで精一杯。
運動会も、学習発表会も、大変だった記憶しかない。
たけしが重いからというわけではないが、こうした行事の、「出来る子が前に出る」あのシステムに、違和感を通り越してもったいないとしか思えなかった。
学校というのは、「何かを学ぶ」「何かを治す」ことが目的なのはわかるが、学習発表会にしても、運動会にしても、一生懸命頑張った成果ばかりをたたえる。
努力することを否定はしない。
しかし、いわゆる、健常者のモデルにひたすら沿うことばかりを要求されるのは、おかしくないか。
あるお母さんが、「できないからこの学校にいるんじゃないですか」といった言葉は的を得ている。
健常者とは違う、価値観、生き方を模索すればいいのに。
私はむしろ、そんなことお構いなしに、後ろでぴょんぴょん飛び跳ねていたり、突然舞台から疾走したり、何をやらかすかわからない子どもたちのパフォーマンスの高さに、惚れ惚れしていた。
これを前に出さない手はないと、何度か学校に提案したこともあるが全く取り合ってもらえなかった。
そんな感じだから、親子共々、学校がそれほど好きではなかったと思う。
それでもやめないで(やめたところで預かってもらえるところもなかったのだが)、通ったその動機は、長谷川先生がいたからだ。
長谷川先生は、中高6年間たけしのクラス担任だった。といっても中学も3名のクラスだから、ほとんど専任の先生だった。
定年最後の6年間を、3人のために尽力してくださった。
たけしは12年間学校に通っても、排泄も、食事も、着替えも確立できなかった。
それだけ最重度の人であることは確かだが、私はそのために学校に通っていたのではないと思っている。
できないものは仕方がないのだ。
それよりも、親ではない人と親密な信頼関係を築けたことは、きっとたけしの人格形成に大きな影響を与えたのではないかと思っている。
いい時も、悪い時も、何かに折り合いをつけて、日々を過ごす。
そうしたことは、こだわりが強く、情報処理能力が未熟で、至って普通ではない彼は人の何倍も過敏に反応してしまうし、スルーすることもできない。
それでも「おりあい」をつけることができるのは、信頼関係があるからだ。
そうした、「社会」を、たけしは長谷川先生と培うことができた。
いくら障害が重くても、成長の段階を踏み外すことはないという。
つまり、赤ちゃんがそうであるように、まず、お母さんとそして家族、少人数の友だち・・と、だんだんと社会を広げていくのだそうだ。
たけしは多くの人と関わりたいと思っていはいないかもしれないが、いざそうした社会に出ても、それなりにやっていけるのではないかと思えるのは、(身辺の自立ではなく、メンタルの部分で)その礎があったからだ。
変な話だが、私は、たけしを死ぬまで面倒見たいとは思っていない。
またよく障害のある親に言われるが、「親なきあとどうするか」ということも心配していない。
何とかなると楽観している。
その根拠は明確にはないのだが、どんなに障害が重くても、自分の人生は自分で決めるのではないかと思えてならない。
最近のたけしは本当に大変で、それこそ、一緒に住めない日は近いかもしれない。
しかし、それは親が体力がなくなったせいでも、たけしの体力がついたからでもない。
つまり、そういう時期になったということだ。
たけしが長谷川先生と出会い、親交を温めたのも、彼の力だと思う。
この人たちは実はとってもたくましい。
もうじき二十。(彼は遅生まれで、2月1日が誕生日)
これからどんな人生が待っているのか。
一人の普通の親として、楽しみにしている。
この記事へのコメント
お久しぶりです。少し前にFacebookで広島に来られたのを拝見しました。なかなかゆっくりいできないでしょうが、また来広された際は、連絡くださいね。
浜松の成人祝賀会に成哉も誘っていただき参加予定してましたが、都合がつかなくなり出席できず残念でした。
最近の我が家ですが、なかなか子離れできない私ですが、秋から成哉もデイサービス利用してます。こちらでは、直前にお願いしても今のところ100%断られることなく利用させてもらってます。
田舎では結構空きがあるようです。
浜松ではなかなか利用が難しいと言ってましたよね、
そこでいろいろ聞いた話によると、他県でもサービスは利用できるそうです。
初めに一度顔合わせのような手続きは大変でしょうが、出向く先が決まっていれば、他県にそういう施設をみつけておくといいかもしれませんよ。、、、って、、そんなの知ってましたかね(笑)
そういえばキャンピングカーとか、いろいろ考えましたね。画期的に介護も生活に取り入れてますね。いつも想像力と、行動力には感心するばかりです。外から見ていて頼もしいし力をもらいます。
こういう感じでいろんな人が久保田さんの周りに集まるんだなと、改めて思いました。
浜松の成人祝賀会に成哉も誘っていただき参加予定してましたが、都合がつかなくなり出席できず残念でした。
最近の我が家ですが、なかなか子離れできない私ですが、秋から成哉もデイサービス利用してます。こちらでは、直前にお願いしても今のところ100%断られることなく利用させてもらってます。
田舎では結構空きがあるようです。
浜松ではなかなか利用が難しいと言ってましたよね、
そこでいろいろ聞いた話によると、他県でもサービスは利用できるそうです。
初めに一度顔合わせのような手続きは大変でしょうが、出向く先が決まっていれば、他県にそういう施設をみつけておくといいかもしれませんよ。、、、って、、そんなの知ってましたかね(笑)
そういえばキャンピングカーとか、いろいろ考えましたね。画期的に介護も生活に取り入れてますね。いつも想像力と、行動力には感心するばかりです。外から見ていて頼もしいし力をもらいます。
こういう感じでいろんな人が久保田さんの周りに集まるんだなと、改めて思いました。
Posted by 成哉の母 at 2016年01月29日 12:41