わたしとアート 還暦に思う。

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わたしとアート 還暦に思う。

9月16日で60歳になる。
よくもまあ、60年も生きてこれたものだと思う。
人生100年時代に60なんて当たり前だと言われる。
しかしそうではない。
60年。立派なもんである。
わたしだけではなく、だれでもそうだが、山あり谷ありを乗り越えて60年、生き延びてきたのだ。
そして、私が生き延びてこれたのは、私にアートがあったからだと思う。

人は一人では生きていけない。
自分にとって都合のいい人ばかりと付き合えるはずもない。
時に対立し、激しく口論することもある。
私はそこをどうしてもごまかすことができない。
それは生きづらさと隣り合わせでもある。
だから私は芸術系に進んだのだと思う。

都市デザインの仕事は楽しかった。
とにかく空想して夢を形にしていくような仕事だった。
人が思いつかないことを考える、思考を転換させるなど自由に発想できる。そして実装がある。夢中になった。

しかしそれは、たけしの誕生で潰えた。
それどころではない。
この人を育てなければいけない。

しかし、たけしはすごかった。
それは障害だからというより、人として、常識は全く通用しない。歯が立たない。
こちらも必死に「アート」を出動させる。

そこで、彼の常識を逸脱した行為一切合切を「表現」としてとらえる。
これは魔法だった。
表現ととらえなおした瞬間に、違った世界観が見えてくる。
それは私がこの人を殺し、自分も死ぬといった惨事にならない方法でもあった。
私も再生することができた。

たけしが私の人生を変えた。それは事実だ。
しかし、たけしだけではない。
私は自らが作った家族に本当に翻弄された。

愛があるから、悩み、混乱し、あきらめがつかない。
混沌としていて、矛盾に満ち溢れている。
それが家族なのだろう。

夫や娘に「普通」ということばを連発していたように思う。
普通じゃない私が普通を振りかざす。

男とは、女とは、妻とは、いい家族とは‥みたいなことにとらわれてもいた。
たけしの常識、社会の常識、何が常識でそうでないのか。
そうしたもやもや、ヒリヒリ、ぐるぐるする思考とエネルギーを私はレッツの活動に吐き出していたのだと思う。

レッツの活動は私のリアリティでもある。
そして、いいことも悪いことも、アートは引き受けてくれる。

アートは作品だけではない。
こうした行為そのものもアートだと思う。
そしてやっと私は、まともに生きることができた。
生きるためにアートが必要だった。
そしてこの術を私はとても尊く思う。

今、夫はこの世を去り、娘や息子は自立の道を歩み始めている。
気付いたら60になっていた。
人生これで終わっても悔いはないけれど、そうもいかない。

まだ云十年残っているのであれば、若かりし頃、楽しくて仕方なかった街づくりとつなげながら、たけしたち重度知的障害者の社会的な役割をだれもやったことがない方法で実現してみたいと考えている。

とはいえ体力も知力も劣ってきている。体は相当ガタが来ていてあちこち痛い。
でもこの体と知力でできることでやればいい。

生きていれば必ず悩みは生まれる。
今までちゃんと生きたから、これからは大丈夫なんてことはない。
人の人生なんてわからない。

そして死ぬときは一人だ。
天国なのか地獄なのか知らないが、死に方も選べない。なにも持っていけない。
だから人は野垂れ死にしたっていいのだ。

いい死に方なんてあるわけがない。
そして、何かを成し遂げるために人は生きているとは私は思わない。
人は自分を表現するために生きているのだ。
どんな生き方だって、死に方だって、その人の表現。
多様にあっていいし、どれも尊いよ。

なんてことを考えている還暦である。



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