ネットTAMに寄稿しました

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ネットTAMに寄稿しました




ここのところ3本たてつづけて原稿依頼。
AAF(アサヒアートフェスティバルさん)のメルマガ
福武財団さんのニュースレター(10月ごろに出るそう)
ネットTAM(トヨタアートマネージメント)の「オリンピック・パラリンピック講座」

9月1日からネットTAMが公開されています。
http://www.nettam.jp/course/olympic-paralympic-2/1/


「境界を曖昧にする~オリンピック後の幸せの価値観」

過渡期の日本
 少子高齢化時代の中で、子供の数は減っているにもかかわらず、障害児のための特別支援学級、支援学校は毎年増加している。この中には、今ままで社会の中に潜在化していた発達障害という子どもたちが含まれている。15歳から34歳までの若年層の引きこもり者は70万人、フリーター率7%で、年々増加している。年間自殺者は10年連続3万人を超え、精神科に受診し投薬する人も増える一方だ。
人々は、とても高いストレスにさらされている。コミュニティは崩壊し、孤立、分断はますます進み、社会の中にあった寛容性、弾力性がだんだんと失われていることを感じる。同じ働き方、あり方を強要し、そこに添えない人を容赦なく排除する。多様性、個性を受け入れよう、認めようと口ではいうものの、少しの差異にも寛容になれない社会。
高度成長が終わり、右肩上がりではない成熟社会を迎え、大きな震災を2つ経験し、今もいつ終わるかからない苦しみに耐える地域とそれを他人事にしか思えない地域の格差。70年間戦争をしてこなかったがここに来て、きな臭い煙が立ち始めた日本社会。すべてが「過渡期」であり、これから、我々はどうやって、何を求めて、何を幸せと考えて生きていくのか、その先が見えない、迷走期でもある。
こうした中での、東京オリンピック・パラリンピック。
私たちはここに何を求めるのか。

クリエイティブサポートレッツと居場所
 私は、2000年に、クリエイティブサポートレッツを立ち上げた。
大学院卒業後、地元に帰って、小さな建築・環境デザイン事務所を始めた。その後、結婚、出産。そして、重い障害がある第2子を出産。そこから人生が一変する。
たまたま重度の障害の子どもを生んだことで、それまでつながっていた社会との関係を失ってしまった。私が普通に子育てをしたいと望んでも、障害の子どもとその家族は、だんだんと社会から周縁化して行く。
私と家族が幸せに生きていくためには、自分たちが心地よく居る場所を自ら作るしかなかった。それがクリエイティブサポートレッツだった。
そこから10年後に障害福祉施設アルス・ノヴァを設立した。ここに毎日30~40人の障害のある子どもと大人が通う。アルス・ノヴァには重い知的障害の人と一緒に、発達障害、精神障害の人々も通っている。
ここには障害福祉施設によくある作業がない。だから障害のある人たちも思い思いの過ごし方をしている。ずっと何かを続けている人もいれば、ウロウロしている人、寝ている人もいる。スタッフやボランティアも、演奏したり、一緒に何かを作ったり、詩を書いたり、踊ったり、彼らに添いながら、自分たちのやりたいことを重ねていく。

 同じ地域に私設私営の「たけし文化センターのヴぁ公民館」がある。3階建ての古いビルを「誰もが利用することができる」場所として開放している。
ここに不登校や、引きこもりがちな人々もやって来る。いろいろな経歴の人がいる。そして、ゆっくりと、自分の居場所を作り始める。

 2008年から行っているたけし文化センターのコンセプトは、「個人の熱意を文化創造の拠点と捉える」だ。職業、経験、経歴、地位、名声、障害の有無、収入、住居、家族といったいわゆる固定の概念を外して、その人が熱心に取り組むこと(それが障害で言われる問題行動だとしても)に敬意を称し、そこから「文化」を考えていく事業だ。つまり、個人を徹底的に尊重するところから社会のさまざまなルールや規範を見直し、作り替えていこうというアートによる運動でもある。

レッツに来る若い人たちを見ていると「これから自分はどう生きていけばいいか」ということに悩み、迷っている人が多い。一般的には進学したり、就職しながら考えている人もいるだろう。しかしそれができずに、中退や休学、退職、定職を持たずに、「考える」ことを続けている人もいる。
しかし、こういう人に社会は冷たい。怠けているとして、「モラトリアム」することを許さない。即戦力になり、うまく立ち回ることを強いる。役に立つか立たないかという価値観で人を判断していく。きつい時代だと思う。
社会の中に余白、余裕が本当になくなってしまったと感じている。成果主義は、経済だけではなく、教育や、福祉にも蔓延している。様々な生き方を選択し、社会の規範の添えない人たちが、過度のプレッシャーで苦しまないようにするためには、社会の価値観を変えるしかない。
レッツの行っている事業は、ささやかではあるが、そうしたことを、障害のある人ともに行っている。たけし文化センターや、のヴぁ公民館を自営で行なっているのも、自分の居場所を自分で作る。生きる力を温存、あるいは孵化するための場所なのだと思う。

障害のある人の表現活動
 今、障害者芸術の世界は、エイブルアート、アールブリュットに代表されるように、徐々に隆盛してきた。
パラリンピックは、身体に障害のある人の祭典であると言っていい。手や足、耳、声などが不自由な人でも、技術の発展によって、健常の人と同じようにスポーツを楽しみ,その能力を開花することができるようになった。2020年のパラリンピックは健常の人の記録を超えるのではないかと言われているほどだ。
それに合わせて全国で始まろうとしている文化プログラムの中でも、障害者のアート活動が注目されている。文化政策だけでなく、障害福祉といった分野でも、分野を横断して障害者アートの振興に力を入れ始めている。これから全国の都道府県でさまざまな事業が展開されるだろう。
15年間、活動を続けているが今ほど、障害者のアート活動が、普通の文化事業と同等に語られる機会などなかった。障害者側からすれば、千載一遇のチャンスだと言えるだろう。

 そもそもオリンピックというのは「能力の祭典」だ。もともと身体、才能、センスに秀でている人が努力して勝ち得る最高のステージだ。聴衆はそこに、スポーとの素晴らしさと高みを目指して、時にはハンディを克服してひたむきに努力する姿に感動する。
誰よりも優れた作品、優れた記録。それを生み出す人々を賞賛する。
しかし、この東京オリンピック・パラリンピックが、「頑張る障害者は素晴らしい」「障害者でも頑張ればできるんだ」といった短絡的な思考が蔓延することとなるのであれば、甚だ迷惑としか言い様がない。

 障害のある人が作る作品に注目が集まり、新しい市場が開拓され始めている。取るに足らないと思われてきた障害のある人の表現に注目が集まり、彼らの活動が盛んに行われることに結構なことだ。しかし、作品に優越がつき、経済効果に組み込まれて行くことに疑問を感じている。
お金が欲しい、有名になりたいといった明確な思いのある人はそれでいい。しかし、そうしたこと全く考えない、普通の人たちと違う価値観を持った人たちがいることも同時に知って欲しい。

 アルスノヴァに通うまいさんは、毎日、いろいろなものをガムテープで包んでいく。木彫りの熊、だるま、から生ものまで、一重ではなく、何重にも重ねていく。1日に1つ以上、多い時には2個も3個も、ガムテープの塊ができる。そして、ある日、突然、せっかく巻いたガムテープを、はがし始め、元の形に戻す。そしてまた、ガムテープを貼り始める。そうした行為を繰り返している。
最近、彼女のガムテープシリーズがどんな評価を受けるのか知りたいということで、ある障害者関係の全国公募展に応募してみた。見事、入選して、その後、なんとイタリア人のキュレーターの目にとまり、東京で展覧会が行われた。
私は彼女のガムテープシリーズが作品だとは思えない。彼女にとってガムテープ貼りは、「日常」だと思う。だから容赦なくはがすし、また貼る。作品を作ることに興味があるのではなく、その行為そのものが彼女の何かを安心させたり、収めたする。ご飯を食べたり、排泄したりといったものに近いものを感じる。
私が最も興味があるのは、その過程や、それによって作られていく関係性だ。
厄介なこと以外、なにものでもない行為を、お母さんがユーモアで切り抜けている態度など、スタッフや家族が自分たちの生存権をかけてせめぎ合いながら作り上げていくオリジナルの関係性。そうしたものにアートを感じる。

 りょうくんは、100キロ強の巨体で、あまり動かない。彼は、アルスのヴぁの1階と2階階の階段を行ったり来たりしている。普通の人なら5秒とかからないその階段を、20分も、30分もかけて降りる。スタッフがその姿をビデオに収めた。その時に我々は,そのほとんど動いていないような彼の所作に、私たちには想像もできないような豊かな時間が流れていることを知る。
彼は特別支援学校からアルス・ノヴァにやってきた。教諭から、指示にも従わず、集団行動もできない、何に興味があるのかもわからない、至って問題が多い人と申し送りがあった。しかし、それは、我々健常者の価値観から見ての話に過ぎない。カリキュラムがあり、メニューがあり、次にやることが決まっている生活の中で、彼の行動は、問題であり、疎ましいものになる。しかし、我々と彼の間にある「時間軸」を取り払ってしまうと、彼の内側にある豊かな世界が見えてくる。そして、我々がいかに時間に追われ、時間によって失っているものがいかに大きいかを知ることになる。

 毎日毎日入れ物に石を入れてカタカタと鳴らしているたけしくんは、その行為が問題行動として捉えられ、学校や施設にとって、「それをやめさせて他のことをさせる」ことが目標だった。しかし、彼はそれを片時もはなさず、やり続けた。いつの間にか体は変形して、さらに行動範囲も狭まった。アルス・ノヴァではそれを「熱心に取り組んでいる行為」と捉え、むしろ奨励した。これによって彼の問題行動は、彼を最も表す行為として価値感が翻った。彼のやっていることはどこに行っても変わりはない。むしろそれをどう捉えるかは、こちら側の問題であることを自覚する。

 障害とは、病気や能力に問題があるのではない。その存在を我々(私)がどう捉えるかの、「間=あいだ」の問題だと言える。障害者というのは総称であって誰も示していない。総称で語っている限り実態など見えてこない。
「私」と「あなた」、あるいは「彼」と「社会」。そこに横たわる具体的な関係性を考えた時に、それをどのようにつくるかの作業が始まる。様々なやりとりを行いながら、創造力をふくらませ、その間に、オリジナルの物語を作り出していく。これこそがアートだと思う。

二項対立の限界→境界を曖昧にする
 健常に対して障害、できるに対してできない、優に対して劣。白か黒か、正しいか正しくないか、頑張るか頑張らないか、出来るかできないか・・・。
そうしたはっきりある境界が明確であればあるほど、人は生きづらくなる。
この境間にある、弱いもの、わけのわからないもの、不確定なものを我々は排除しすぎてきた。今こそ、境界を曖昧にする試みが求められている。そしてこれを導き出すヒントが障害福祉の現場にある。

オリンピック後のレガシーとは
日本の文化政策は、一言で言えば「余暇活動」だったのではないか。どこの地方団体でも文化政策は、福祉や、経済、建設、教育など生活と直結した政策と違って簡単に切り捨てられてきた。しかし、社会自体が問題をかかえ、金で解決できなくなった現代で、そこを「なんとかできる」のは文化以外、もはや良い方法がない。
障害福祉は、戦後、差別、偏見との戦いをくぐり抜け、人間として当たり前の生活を取り戻してきた。特に、圧倒的に普通と違った価値観を持つ知的障害者らを社会になじませていくために、様々な取り組みが行われているが、有効の手段はなかなか開発されていない。
そうした中で、むしろ、社会側の価値観を変える、あるいは揺さぶる、問い直す方法として、「アート」があるのではないかと私は考えている。
文化は単独では、それほど力を発揮できない。しかし、形骸化してしまった社会のシステム、立ち行かなくなってしまった人々の感情、そうしたところに文化が介入することで、様々な変化が起こっていくのではないか。
それは目の前の問題を劇的に解決する機動力ではなく、「人の気持ちをなだめる、癒す」力として、そして、「明日もとりあえず生きていこう」といった「生きるための力」になるのだと思う。

 今回のオリンピックの文化プログラム立案の状況を見ていて疑問に思うことは、文化側のアプローチばかりが目立つことだ。文化以外の人たちがどれほど興味を持っているのだろうか。文化事業に空前の盛り上がりがあったとしても、それは結局打ち上げ花火で終わってしまう。地域で、現場で、突然、アーティストが登場し、何かを作り始めたからといって、何かが劇的に変わることはない。むしろ、「異邦人」といった印象をさらに深めることになりかねない。
それよりも、アーティスト、あるいはアーティスト的な性質も持つ人材が、教育、医療、福祉、環境、行政などのスタッフとして、現場に入りこんで、内側からアクションをじわじわと起こして欲しいと思う。
それぞれの現場にある課題を、「アート的な手法」で解決しようとした時に、今ままで思いもよらなかったことが起こる。それによって、そういう思考をしなかった現場の普通の人たちにも伝播していく。こうすることによって、社会のいろいろな構造が変わってくるのではないかと思う。

 オリンピック後のレガシーとは、それぞれの分野と分野が曖昧に、柔らかくなること。そしてそこに確実に人材が育ち、残ることではないだろうか。
2020年まであと5年もある。ぜひ、文化・芸術関係のみなさんに考えて欲しい。
そして、ここにこそ、公的な支援をしてもらいたいと思う。

参考
平成26年度版子ども若者白書(全体版)
http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26honpen/b1_04_02.html


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