たけしのてんかん発作

レッツ久保田翠

2023年05月29日 12:20




たけしのてんかん発作
たけしは小学校3年、4年からてんかん発作がある。
幸い薬があって、なんとか抑えられていた。
しかしこの薬は血中濃度に左右される。そして何より厄介なのが、空腹時に飲むと吐くこと。
食事にバラツキがあり、多分食べることに興味がないたけし。
興奮してしまったり、体調によって食事をとってくれないことが多々ある。しかし空腹で飲むとこの薬は、腰が立たないほどふらふらになったり、吐いたりする。
食べたくなくても何とか少量でも食べさせることに躍起になる。それでも薬もろとも吐いてしまう。だからと言ってそのあと食べてくれるわけでもなく、結局薬が飲めない。そして睡眠障害もあるたけし。てんかん薬には安定作用もあるから、薬が飲めないことは寝ないことにもつながる。じゃあ昼間にのませればと試した時期もある。しかし安定作用効果が大きいのか眠くなってしまう。学校に通っている頃は午前中眠気が強くて先生もとても苦労していた。だから夜に多くなるのだが、となると食べる量によって吐く。これが悩みの種だった。
本人を見ていてもかわいそうでならない。
吐きたいわけでも調子が悪いわけでもないのに、薬を飲むともうろうとして吐いてしまうという日が頻繁にある。
なんて怖い薬だろう。
なんども辞めさせたいと思ったことがあるが、それによって発作は確実に起こる。
それもチアノーゼと痙攣を併せ持つ発作だから本当に怖い。
なんども「死んでしまうのではないか」と思ったことがある。

てんかん薬は毎日のこと。おのずと、食事に対しての緊張感が高くなる。
とにかく食べさせることに躍起になる。薬を飲むために食べさせているような感じだった。そして食べたか食べないか、どのくらいの量食べたか、この量で吐くか吐かないか・・・・・。を毎食気にしなければいけないストレス。そして毎回綱渡り状態。それは同時に介助してる人たちの神経を削る。
自宅にいる時は何とかしていた。この微妙な状態を調整しながら、神経削られながら、それでも何とかするしかなかった。しかし、自立生活になってヘルパーさんたちが同じような状態で悩みだした。
これはいかん。なんとかしなければ。
そこで薬を変えることを決断した。

訪問医療で来ていくださっているEドクターは以前からたけしの主治医でおせわになっている。薬のこともよくわかってくださる。そこで1年半前「たけしてんかん薬変更計画」が実施された。
最初は今まで使っている薬を土台に新薬を少しづつ試していく。少量を変えてから2~4週間試してまた少量を増やして‥を繰り返していく。その間睡眠、食事などのデータをもとに調子が悪ければ戻したり、前の薬を多くしたり、コロナにかかった時も微妙に調整しながらなんとか1年半。ようやく新薬に8割方切り替わってきた。

しかしここで厄介なのが新種の発作が起こってきたことだ。ドクターが言うには、薬を変えている過渡期に起こりがちなのだそうだ。その発作は、いままでのチアノーゼ、痙攣という派手なタイプではなく、ふっと一瞬意識が飛ぶタイプ。その意識が飛んだ時に、ふ~と後ろに倒れる!
大体しりもちをつくか、どこかにぶつかる。それが1日に何回か起こるようになった。これは突然起こる。何の前触れもない。だから誰かがずっと見ていないと、例えば階段なんかで起こったらそのまま転げ落ちる。ふ~と後ろに倒れていくから打ちどころが悪ければそれこそ大惨事!
これはこれで厄介。しかしドクターが言うには今試している薬がちゃんと効きだせば(今はまだ十分な量に達していない)治まるはずだと。それでもだめならまた新しい薬を試す。(え~)
ウルトラ(レッツが運営しているヘルパー事業所)の担当者の皆さんとも話した。以前の薬は効いていた。こんな新種の発作もなかった。たけしにとってはあっていた薬なのであろう。しかしあの時期を思い返せばそこに戻りたくない。ならば今ここで頑張ろう!と。

とはいえ、この後ろに倒れる発作も命の危険がある。おかげで今たけしはあざだらけ。倒れた時にいろんなところにぶつかってケガもしている。打ちどころが悪いと死に至る。
まず、アルス・ノヴァにも協力してもらって見守りを徹底することとあとヘッドギアをつけることにした。

ヘッドギアと敗北感
たけしを育て介護しているときに何度か敗北感を味わうことがある。
一つはつなぎだった。便コネ(便で遊んでしまうこと)がひどくてどうしようもならなかった時にどうにか辞めさせたくて頑張った時期があった。しかしたけしの方がいちま枚も2枚も上手でおさまらない。こちらはすっかり疲弊してしまってかなり精神的に落ち込んだ。仕方がなくつなぎを着せることにした。今となっては彼のトレードマークになっているつなぎ。しかしあれは私にとっては敗北感の象徴でもある。
今回のヘッドギアもそれに近い感覚を覚える。なんか負けた感じ。なにに負けたのかわからないのだが、いかにも介護的。彼の障害をまた一つ受け入れなければいけない象徴のように思えて心が暗くなる。
ヘッドギアかぁ。ネットで探しはしたがどれもおしゃれじゃない。
帽子さえかぶらないたけしがこれをつけるだろうか。
試しにラクビ―用のを一つ注文してみたが、即座にぶん投げた。これから夏に向かっていくのにこれは無理だな。

そこで手づくりしてみた。
言っておくが私は決して裁縫が得意ではない。うちにはミシンがないないのですべて手縫い。ミシンはそれこそ苦い経験をいくつもしていていまだにちゃんとしたのがないのだからよほど縁がないのだろう。
まあミシンがないからと言って生活に支障はない。たけしのつなぎの裾上げやら長袖を半そでに改造するのやらは切ってまつればいいだけだから手縫いでもできる。
そして今回、自己流ヘッドバンドをつくることになった。

丁度綿の体を洗うミトンみたいなのが2つあったのでそれを改造した。とにかく頭だけ守れればいい。特に後頭部を強打しても大丈夫にしておけばいいのだ。ならばバンドタイプでいいだろう。
夏だし通気性がよくて洗えることは必須。そしてヘッドギアみたいに仰々しくない感じで。
また娘からもらったオカザエモンのワッペン(彼女が好きなアーティストの作なのだそう)を中央に着けて後ろ前をわかるようにした。
あとはかぶってくれるかどうかだったが、しばらく嫌がってもそのまましておくと慣れてつけてくれる。ヘッドギアと違って通気性もいいし、本人的にも違和感がそれほどないのかもしれない。レッツのみんなの協力もあって、何とかつけて活動している。やれやれ~。

しかし1つでは汚れた時に困るのでもう一つ作ることにした。
同じ材料はないので、いらないスエットのスカートを解体して中に緩衝帯となる布を入れて作ってみた。手縫いだから針がなかなか通らず血みどろになりながらやっとできた。
しかしできてみると大きい!バンドというより帽子だな。いや~半分でよかった。
こういうところがど素人の裁縫の苦手な私の泣けるところ。
はたしてかぶってくれるだろうか??

こんなことに果敢に取り組むのはなんでだろう。困難だとがぜんやる気が出てくる困った性格は別として、それはこの敗北感を転換する作業なんだと思う。障害や病気っていうのは生易しいものではない。突然治ったり、解消したりするものではない。だからと言ってその負のスパイラルに巻き込まれるとこっちも不幸な気持ちになってくる。
かんがえてみれば、障害や病気だけではなく、災いや不幸ってのは突然やってくる。それは誰の上にも均等に降りかかるものだと思う。
そしてそれを回避することは結局できない。
ならばそれをどうやり過ごすか。
降りかかってくるものを怖がっているより、降りかかってきたものをどう自分に引き寄せて楽しんでしまうか。
そこに創造力が生まれるのだと思う。
今回のヘッドバンドを得意でもないのに手づくりしたのは、こうして彼と私に降りかかっている災難を少しでも楽しもうとする私の潜在的な回避能力なのだと思う。
そしてこうやって稚拙ではあるが創造力を発動することによって、そこにある苦難を少しでもすり替えていく。それが生きる術だとつくづく思う。

人にこの創造力が備わっていることに私は本当に感謝している。
なにかを執拗に恐れたり、悲しんだり、とらわれたりするよりも、創造する種に変換する(本当は気休めなんだけど)

今回手に何回も針を刺し作ったヘッドバンド。たけしのつらい発作と、母としてのやりきれなさと、でも楽しく生きていきたいと願う気持ちと。
さてかぶってくれるだろうか。


関連記事