家族の人権はどこ行った??

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家族の人権はどこ行った??


 先日、兵庫の「兵庫県知的障害者施設家族会連合会」に読んでいただきお話視させていただいた。
きっかけは朝日新聞の鷲田清一氏の「折々のことば」に掲載いただいたことだった。
これを読まれた代表の方が、HPで調べてご連絡してくださった。

折々のことばから(2018年4月3日)
【「本人が大切にしていることを、とるに足らないことと一方的に判断しないで、この行為こそが文化創造の軸であると考えています」
(久保田翠)

「1日中、ケースに鍵を入れて打ち鳴らす息子。重度の知的障害を持つ彼・壮(たけし)の「たけしルール」を基準として福祉施設を運営してきたNPO法人代表は、これを「問題行動」ではなく「表現未満、」の「個人の熱意」ととらえ、人々の分断を超える社会の在り方を追求する。芸術選奨文部科学大臣新人賞贈呈式(3月13日)でのスピーチから」】

と評していただいた。
芸術の分野にしてみれば、この価値観の転換というのはよく行われているし、むしろ既存の価値観を壊す試みは芸術が最も得意とすることだともいえる。
しかし、それを福祉に置き換えていくと、全く違ってくる。

たけしの「ケースに鍵を入れて打ちならす」行為は、学校を卒業するまでずっと問題行動であった。
だから、それしかできない、それにしか興味がない彼の存在意義は、きわめてあいまいだった。
平たく言えば、問題行動満載の彼の存在の意義はだれもわからない。
そこは母親として受け入れがたいものだった。

少なくとも私は毎日寝るとき以外にやり続けるたけしの行為を、「すごいな」としか思えなかった。
もちろん生活していくには、ある意味厄介ではあるが、これを取り上げることは考えられなかった。

まして、「とるに足らない」「問題行動」と断罪する権利がだれにあるのか。

これは母親として全力で守るしかない。
その中で編み出されたのがたけし文化センターだったし、アルス・ノヴァという施設になった。

レッツの活動は、彼と私と私たち家族が生存権をかけて作り出していった1つの形でもある。

今、彼の生存権はなんとか確立できたように思う。
いいスタッフにも恵まれ、社会的にインパクトを与える事業をどんどん送り出している。
例えば2年前から始めた「表現未満、」は、レッツが考えていることを表明した活動として成長している。

しかし一方で、ここにきて、はたと「家族の生存権」を考えるようになった。
つまり、重度の知的障害者を支える家族、とりわけ母親の生存権は本当に確立しているのだろうか?

母親は、そうした子供を産んだことに対する負い目みたいなものがあって、迷惑をかけるばかりの子供たちをなんとか介護する、療育すると頑張ってきた。
「人様に迷惑をかけてはいけない」
だから自分たちで(家族で)でなんとかしなければと思ってきた。
しかし子供が20歳も過ぎてくるとそれが非常に苦痛にもなってくる。

いつまで頑張ればいいのだろう。
私の人生はどこに行ったんだろう・・と。

今回、神戸でお話しさせていただいてびっくりしたことがある。
神戸というか兵庫県は、入所施設やグループホームもたくさんあって、通所と入所系が半々らしい。
ある程度選択もできるし、障害が重くなくても入れるそうだ。

ここまで地域差があることに改めてショックを感じた。
地域変えれば,たけしを入所させるのはそんなに難しくないということなのか??

お会いした方々は子どもさんの年齢もだいぶ高くて、お子さんが40代、50代といった方々もいらした。
でもきっと、今から50年前になにもサービスはなかっただろうし、差別も今より激しかっただろうから、戦いを経て今があるのだと思う。

しかし、人は衣・食・住が確保されても幸せに生きていいけない。
人とどれだけつながっているのかが、幸せのバロメーターなのではないかと思う。

それは障害の人たちも基本的に一緒だと思う。
いつまでも、親と一緒が幸せだとは到底思えないのと同じように。

自分の人権は自分で守るしかない。
と同時に、それぞれが自分の人権と生存を考える機会が必要だと思う。

私の幸せを追求していくと、他者を尊重する気持ちが生まれる。

難しいことのようだけどいたって単純。

私も(遅まきながら)自分の生存権と人権について考え始めています。



















 
この記事へのコメント
ヒトラーユーゲントは被害者であり、国民突撃隊は無罪であり事実上被害者。

「ナチスのやつらはみんな悪いんだ」というのはヒトラーユーゲントなどの少年兵も敵視することで、つまり虐待を受け傷つき死んでいった子どもを犯罪者扱いし敵視することだ。

少年兵は猛獣でも凶器でも大量破壊兵器でもない。

ヒトラーユーゲントだった人がローマ法王や国連事務総長になったり、その任期中に暗殺されなかったから今のようなおかしな世界になったんじゃない。
もし今日までそういうことがなかったら、人類は1999年以前に滅亡していた。

ナチスドイツの国防軍の2等兵と1等兵は無罪だ。

ナチスドイツの国防軍の下士官は犯罪者ではあったがヒトラーでも暴君でもない。

ムッソリーニは独裁者ではあったが暴君ではない。

ファシストイタリア軍も降伏した日に5千人もナチスドイツ軍に虐殺された。

ファシストイタリア軍は無罪だ。

特攻隊と鉄血勤皇隊は被害者だ。

「ナチスのもの」と「ナチスっぽいもの」は違うし「ファシストイタリアのもの」とも違う。もちろん「それっぽいもの」とも違う。

「大事なのは差別をしないこと」ではあるが「差別大国のものや、それっぽいものを根絶することではない」

「ナチスアレルギー」は病気ではありませんが「右翼アレルギー」や「保守アレルギー」は病気だ。

「自分のせいじゃない」というこが一番危険なのではなく「弱い者のせいにすること」が一番危険なのだ。

相模原市障害者施設殺傷事件のような事件が二度と起きて欲しくないのなら、風化して欲しくないなら、もっとひどい事件が起きて欲しくないのなら、この事実を伝えてください。
Posted by 芋田治虫 at 2018年07月25日 18:20
ナチスのものを放置するよりも「親や目上の人たちが無理だということができなければ立派な人間ではない」という教育をする方が危険だ。
Posted by 芋田治虫 at 2019年01月18日 20:19
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